君の手のひらの怪文書

とある百合厨のうわ言

Lostorage9話まじやべえというお話/あるいは続編としてのLostorageについてのお話

はじめに

 今回は今までの胡乱なちなすず語りや自分語りではなく、結構真面目に『Lostorage incited WIXOSS』という作品自体について、本作が『selector infected/spread WIXOSS』の続編であることをふまえて与太話を展開していこうと思います。(真面目な与太話って何?)その割にはタイトルの偏差値は5くらいしかなさそうですが、センスがないんですよ、許して。

なぜ9話が衝撃的だったのか

 Lostorageのここまでの展開は、逆ご都合主義だと揶揄されそうなほどに登場人物たちに苦境を強いるものでした。そして私はそれを見て辛い辛いと言いながら「さすがウィクロスなんだよな〜〜〜!!!最高!!!!!」と言って毎回にやつくオタクをやってました。ですが今回、ちょっとそうも言ってられなくなります。だってセレクターバトルが直接的な原因となって死人が出た上に、今作のセレクターシステムの根幹が前作で救われなかった少女たちの怨念であったと明かされたわけですから。

 順を追って説明していきます。まずセレクターバトルで死人が出た点です。前作でもセレクターバトルに巻き込まれたせいで命の危機にさらされるあるいは本当に亡くなってしまった少女は何人かいました。晶にとどめを刺されて願いが反転し病院に救急搬送された少女、もともと目覚める気配がなかったとはいえ、ルールにより清衣と入れ替わったリメンバによって命を落としてしまった坂口、劇場版を含めるなら、幸の身体も入れ替わった少女の自殺未遂により植物状態となっていましたね。さらにスピンオフコミカライズの『Re/verse』ではハイティの願いがおそらく心中という形で叶えられた結果、彼女の恋人とハイティ自身の元の身体の二人分の命が失われたことが示唆されています。

 ですので「いまさらそんなに驚くことか?」と言う人が現れそうですが、そうじゃないんですよ。前作で描写された分だと、セレクターバトルは死のトリガーであっても直接的な原因ではありません。晶にとどめを刺された子はもともと重い病気を患っていたようだし、坂口はおそらくリメンバにとどめを刺されずとも時間の問題ではあっただろうし、幸も魂のほうは生きていて留未と一緒に暗黒空間でよろしくやってます。ハイティに関しては色々ぼかされてるので微妙ですが、遅かれ早かれ「心中」という選択肢が現れていたんじゃないかという気がしています。

 つまり、①坂口・ハイティ(とその恋人)は死に至る直接の原因がセレクターバトルの外部に存在し、その時期を早めたのがセレクターバトルだった。②病人の少女も坂口・ハイティと同様だが、彼女は一応存命なのでまだやり直しがきく。③幸の身体の死はセレクターバトルに巻き込まれたことを直接の原因としているが、幸の魂は幸せになれたし幸の身体に入っていた別の少女の魂もるう子の願いによって元の身体に戻れたと推測できる。

 よって、「セレクターバトルを直接の原因とした取り返しのつかない不幸=死」を被った人物は(少なくとも描写された範囲では)存在しないわけなんですよ。これが前提としてあるおかげで、selectorのTVシリーズ/劇場版の結末が爽やかな至上のハッピーエンドとして機能するわけです。「苦しいことや辛いことが色々あったけど、そのおかげで自分を見つめ直せたしまあ結果オーライ」というやつです。

 しかしLostorageのかがりはどうでしょう。彼女は明朗快活な少女で、およそセレクターに似つかわしくありません。前作では大体家庭環境の悪い女か友達のいない女か性格の悪い女(つまり内外に問題を抱えた少女)がセレクターバトルへ参加することになってたわけですが、かがりはそのどれにも当てはまらなさそうです。つまり、彼女には死ぬ理由/死んでほしいと(作中人物・視聴者双方含めて)願われる理由がどこにも存在しません。おそらくセレクターになっていなければ、今も楽しくJKライフを満喫していたことでしょう。

 そう、つまりかがりはまさしく「セレクターバトルを直接の原因とした取り返しのつかない不幸=死を経験してしまった少女」なのです。と、ここで「死んだ」と言い切っていましたが、実は死んでない可能性もあります。現実に即して考えると状況的に100%死んでいますが、そこはアニメなので来週の話が「いや〜なんとか一命を取り留めたようで〜」から始まる可能性もなくはないです。ですが、おそらくそれはないんじゃないかな?という気がしています。だってそんなの拍子抜けじゃん!!!あそこまでハイ死んだ!死にました!みたいな演出しておいて死んでませんなんてもうそういう茶番で萎えさせられたくない!!!!!(個人的な感情)

 はい、すみません。ちょっと興奮してしまいました。私に「実は死んでませんでした」展開へのトラウマがあるのは別にしても、わざわざあそこで前作が描写するのを避けていた「死人」を明確に打ち出してくることにこそ意味があるんじゃないかと思うので、私は「かがりは本当に死んだ」に賭けます。さっき挙げた心身ともに死んだ人間の例(坂口・ハイティの恋人)はスピンオフコミカライズのものであり(一応)本編描写ではないので、selectorのアニメに限って言えば死人は出ていません。それなのにわざわざその禁忌を破って死人を出す。しかもセレクターバトルがなければ確実に今も人生を謳歌していたであろう少女を死体にする。これには明らかに制作側の意図があると思います。

 その意図について邪推する前に、今作のセレクターシステムの根幹についてのお話をしようと思います。前作では、繭というハイパーぼっちの内面拗らせ怨霊少女がその怨念パワーを元に始めたのがセレクターバトルというゲームでした。しかしそれもさまざまな苦難を乗り越えウルトライケメンガールへと成長したるう子により繭が救われたために終幕を迎えます。るう子の「すべてのルリグを人間にする」という願いが聞き届けられ、あるべき場所へ魂が還った少女たちは、さまざまな想いを胸に自分の人生を改めて歩き出す……という超爽やかな結末で、TVシリーズと劇場版ではディテールに差異があるのですが、私はどちらも大好きです。

 そう、すべては終わったはずだった。それなのにLostorageで再び、セレクターシステムが作動しはじめます。ですがその形態やルールは前作のそれとは似ても似つかず、せいぜい「理不尽なゲーム」であり「ゲームプレイヤーがセレクターと呼ばれる」くらいしか共通点がありませんでした。私は「今作の舞台は前作の数年後である」という情報が明かされた時点では、「まーた繭みたいな拗らせ女がひな形流用してゲームをはじめちゃったかあ〜ていうかシステムから繭のオリジナル要素消えすぎててリスペクトする気がまったくないのウケる〜〜〜」くらいに軽く考えてました。

 しかし、その甘い幻想は9話で打ち砕かれます。なんと今作のセレクターシステムの基礎を成すものは、「多くの少女たちの失われた想いは二度と戻ってはこない。消えることのない想いが淀み合って意思を持ち新しいゲームが始まった」(清衣談)を額面どおり受け取るなら、「前作の結末に納得いかなかった/救われなかった少女たちの怨念の集合体」ということになるのです。

 

 ねえちょっとそれマジであんまりじゃない?????

 

 この真実、多分前作最終回がさほど刺さってなかった人にとっては「ありがち、想定内」って感じだと思うんですよ。確かに前作とつながりを持たせつつ一番妥当な感じでまとめるならこれしかない、というのはわかります。でもね、前作最終回(あるいは劇場版の結末)を思い出してみて下さいよ。前作主人公のるう子は悲しいゲームを終わらせるためにめちゃくちゃ頑張ってくれました。でも頑張りはしたけど、自分自身や誰かを犠牲にしようとはしなかったんですよ。(一度は自分が犠牲になることですべてを収めようとしてましたが、それはタマによって否定される)彼女は最終的に「全部を選ぶ」と言い切ってくれました。何かを捨てて何かを選ぶのではなく、それがたとえどんなに困難な道であったとしても、すべてを選ぶのだと。私はこれにめちゃくちゃ感動しました。現実では絶対に無理な理想論ですが、だからこそそれを迷いなく言い切ったるう子の姿が超かっこよくて惚れました。

 でも蓋を開けてみるとどうでしょう。るう子の願いは確かに多くの人を救いましたが、それでもそこからあぶれてしまった人もたくさんいた、ということがこの設定で明確になってしまったのです。確かにるう子が示したのは「すべてを選ぶ」という意思だけであり、本当にそれを実行できるかどうかは度外視してる部分がありました。(実際TV版最終回ではタマが人間になれたかどうかは保留の扱いでした)でも、私としては「きっとセレクターバトルに関わったみんながなんやかんやで幸せになれる、小湊るう子はすべてを選べた、そうであってほしい」と思ったわけですよ。実際最終回は未来の希望に満ちあふれたものでしたし、そういう幸福を予感させるものでした。

 確かにるう子の願いは「すべてのルリグを人間にする」というもので、「セレクターバトルに関わった人間とルリグすべてが幸せになる」とかそういうのではなかったからそもそもお前の視点がなんかズレてない?と言われそうなんですが、でもるう子の願いは「みんなが幸せになれますように」っていうのを裏に持っていたと思うんですよ。「みんな幸せになる」なんて抽象的な願いはいくらマユが特別なルリグでも叶いっこない願いだけど、それでもどうにかしたいと思って必死に考えた末の答えだったと思うんです。

 そう、だからこその劇場版selectorだったと思うんですよ。TVシリーズでは唯一救いの埒外にいたウリスにも、彼女なりの幸せを与えようと。つまり、TVシリーズの結末と劇場版の結末は互いに否定し合うものではなく、またどっちが正史かということでもなく、テーマ的に補完しあうものだったと私は解釈してます。(ユキの扱いに関しては妄想力をフル回転させないと上手い答えが出てこないというのは確かにありますが)

 そういうわけで、私ははじめから「前作で救われなかった子たちの怨念によってゲームが再開された」という可能性を考慮してきませんでした。そんなこと考えたくもなかった。みんな幸せになれたんだ、今のセレクターバトルはまたどっかの関係ない女が感情を暴走させてガワだけ借りて始めた別物なんだ……そんで清衣ちゃんは不幸体質を発揮して偶然巻き込まれてしまっただけなんだ……と信じていたかったんです。

 ですが無情にも、Lostorage第9回で明かされた真実により、「すべてを選ぶ」というのが机上の空論にすぎなかったと突きつけられてしまいます。誤解しないでほしいんですが、だからといって即Lostorageがselectorの結末を否定した、とは思っていません。むしろ前作のテーマをきちんとふまえてリスペクトしつつ、それに対するLostorageなりのアンサーを出そうとしてるんじゃないかと解釈しています。だからLostorageのこと嫌いになったわけじゃないしむしろさらに期待度上がったわけですが、それはそれとしていろいろしんどいんですよ!!!るう子の願いが完全には果たされなかったと突きつけられてしまうのがさあ!!!

 はい、ここでちょっと話題を転換します。前作では、自分では何も選ぶことのできないまま死んでしまって、でも「普通の女の子」はみんな好きに願って好きに選べて未来がある、ということを激しく妬む繭の感情がセレクターバトルが始まった背景にありました。だから繭は「自分で幸せを選んだつもりが、実は破滅を選ばされてしまっていた」という状況に少女たちを追い込んで生きる希望を失わせたいがために、あんなクソルールのゲームを運営していたわけです。でも結局は、絶望的な状況に置かれてもなお自分たちの幸せを選び取ろうとする少女たちの意思に、その思惑が阻まれてしまうわけなんですよね。

 つまりこれは、(ちょっと飛躍が含まれているかもしれませんが)「生きてさえいればやり直せる」ということだと思うんですよ。どんなに辛い目に遭って限界まで追い込まれても、命さえあれば、自分で選ぶことさえできればどうにかできる、という前向きなメッセージを読み取れるんじゃないかと思うんです。(繭みたいな超特殊な環境下の場合はともかく)

 そう考えると、Lostorageにおけるselectorへの逆張り箇所が見えてきます。まずセレクターたちの末路。前作では三敗すると願いが反転し地獄を見て、勝ち抜けてもやっぱり地獄な代わりに魂までは失わずに済みましたが、今作では負けたら容赦なく消されます。(勝てば悪くても精神崩壊で済みますが…)消された人格もどこかにアーカイブされていてサルベージ可能であるという希望は残っていますが、どちらにせよ敗北した人間に「選択」の余地は一切残されていません。ただ静かに消えるだけである今作のセレクターたちの姿は、前作で三敗ルールの理不尽をはねのけて作品のメインを張り続け、「選択」を続けた一衣や晶とは対照的です。

 そもそも、前作では願いを叶えるために戦うか戦わないかまで含めて自分で選ぶことが可能でしたが、今作ではほぼ強制です。90日ルールによってバトルせざるを得ない状況に追い込まれるのです。当然ここにも選択の余地はありません。(白井君が頑張って抜け道を探そうとしていましたが徒労に終わりました)selectorではセレクターとして、ルリグとして「何をどう選ぶのか」が状況を打破する鍵になっていましたが、Lostorageではそもそも「選択の余地」そのものが入念に潰されています。「何が選択者(セレクター)だ、お前に選ぶ権利などない」と言わんばかりです。

 で、ここでLostorageに死人が出た意味についての話にようやく戻ってくるのですが、selectorが直接的な死亡者を出さなかったのは、やはり先ほど述べたような非常に前向きなメッセージを内包した作品だったからだと思います。selectorって、すごい雑に言うと「生き辛いなあって思ってても、それでもまあ生きてればどうにかなるよ」っていう良い意味で楽観的なメッセージの作品だったと思うんですよ。メインキャラはどいつもこいつも社会のはぐれもので割と苦しい立場にいるんですが、そのままでも幸せにはなれるよ、別に無理して「まとも」「健全」にならなくてもまあなんとかなるよって感じで、家族や社会との関係における葛藤は解消されずとも、各キャラそれぞれの幸せを見つけることができていました。そしてその「幸せ」をつかむために唯一必要なものが「自分で選ぶという意思」っていう話だったと解釈しています。だから死んじゃったら元も子もないんですよね。

 selectorには「生きてれば幸せになれる」そして「犠牲の上に成り立つ幸せはNO」っていう論理があって、だから「セレクターバトルに起因する人死に」は不要だったということです。「参加者が誰も犠牲にならずに理不尽なゲームを終わらせる」っていうのがselectorの独自性だったんじゃないかなと。他の不幸はともかく、死っていうのはもうどうしたって取り返しのつかない犠牲の一種なので、この理念を達成するためには「セレクターバトルのせいで死んだ人」がいちゃいけないんですよ。(坂口とか理念にギリギリ抵触するかしないかの人死にはありますが)

 ですので、Lostorageがセレクターバトルに直接的な原因がある死を持ち出してきたのは単なる悪趣味やホラー要素ではなく、前作の理念に対する懐疑的なスタンスを明確にする意図があったんだと思います。るう子の願いからもあぶれてしまった少女たちの怨念により生まれた新システム、「選択する者」ではなく「(生け贄として)選ばれた者」としてのセレクター、ゲームによって生まれた犠牲者……そのすべてがselectorの理念に反しています。あえて前作の理念を否定するかのような要素をぶつけて、物語の中でその対立をいい感じに解消させることにより、前作selectorと「前作の続編」としてのLostorage双方の作品テーマの強度を高める狙いがあるんじゃないでしょうか。

 いやーそうだとするとLostorageはやっぱり続編として本気ですね。前作と同じようなことをやったんじゃただの二番煎じになるし、かといってまったく前作をメタらず独自のことをやっていたのでは同一世界設定の明確な続編である意味がない。そうなるとやっぱりできることは「今作独自のテーマとは別に、前作のテーマ・理念に疑問を呈して、それに対する独自のアンサーを付け加える」というものになりますよね。これめっちゃ難しいと思うんですが、監督のことは信頼してるので絶対いい感じにまとめてくれると信じています。(どういう風にテーマをバシッと決めるのかさっぱり見当もつきませんが)selectorの二番煎じにもその他の作品の二番煎じにもならない最高の結末を待ってるぜ……!!!

おわりに

 そういうわけで、なんかぐちゃぐちゃ考えすぎて自分でもよくわからなくなってきましたが、人が死んだことと今作のセレクターシステムの正体にショックを受けてる人間(主に私)に対して「は?なんで?」みたいなことを言ってた人を観測して「あ!!??!?こっちの台詞じゃボケ!!!!!」とキレてその理由を思う存分ぶちまけてやろうとして書いたのでまあこれで満足です。あと私は直接観測したわけではありませんが、Lostorageの展開に対して本気で「selectorを侮辱してる!」と思った人間に対しても先んじて「スタッフ入れ替えキャラ入れ替えだけど同一世界設定の続編というアレなのに前作にメタ張らないでどうすんだよ!!!!!ア!!??!?」とキレておこうと思ったのでこっちもとりあえず満足です。

 いつもより真面目に書いたわりにはいつも通り読み辛い文になってしまって反省してます。文学部のくせに文章や論の組み立てがへたくそなのマジで救いようがないですね。精進します……。ここまで読んで下さったみなさん、ありがとうございました。