君の手のひらの怪文書

とある百合厨のうわ言

Lostorage9話まじやべえというお話/あるいは続編としてのLostorageについてのお話

はじめに

 今回は今までの胡乱なちなすず語りや自分語りではなく、結構真面目に『Lostorage incited WIXOSS』という作品自体について、本作が『selector infected/spread WIXOSS』の続編であることをふまえて与太話を展開していこうと思います。(真面目な与太話って何?)その割にはタイトルの偏差値は5くらいしかなさそうですが、センスがないんですよ、許して。

なぜ9話が衝撃的だったのか

 Lostorageのここまでの展開は、逆ご都合主義だと揶揄されそうなほどに登場人物たちに苦境を強いるものでした。そして私はそれを見て辛い辛いと言いながら「さすがウィクロスなんだよな〜〜〜!!!最高!!!!!」と言って毎回にやつくオタクをやってました。ですが今回、ちょっとそうも言ってられなくなります。だってセレクターバトルが直接的な原因となって死人が出た上に、今作のセレクターシステムの根幹が前作で救われなかった少女たちの怨念であったと明かされたわけですから。

 順を追って説明していきます。まずセレクターバトルで死人が出た点です。前作でもセレクターバトルに巻き込まれたせいで命の危機にさらされるあるいは本当に亡くなってしまった少女は何人かいました。晶にとどめを刺されて願いが反転し病院に救急搬送された少女、もともと目覚める気配がなかったとはいえ、ルールにより清衣と入れ替わったリメンバによって命を落としてしまった坂口、劇場版を含めるなら、幸の身体も入れ替わった少女の自殺未遂により植物状態となっていましたね。さらにスピンオフコミカライズの『Re/verse』ではハイティの願いがおそらく心中という形で叶えられた結果、彼女の恋人とハイティ自身の元の身体の二人分の命が失われたことが示唆されています。

 ですので「いまさらそんなに驚くことか?」と言う人が現れそうですが、そうじゃないんですよ。前作で描写された分だと、セレクターバトルは死のトリガーであっても直接的な原因ではありません。晶にとどめを刺された子はもともと重い病気を患っていたようだし、坂口はおそらくリメンバにとどめを刺されずとも時間の問題ではあっただろうし、幸も魂のほうは生きていて留未と一緒に暗黒空間でよろしくやってます。ハイティに関しては色々ぼかされてるので微妙ですが、遅かれ早かれ「心中」という選択肢が現れていたんじゃないかという気がしています。

 つまり、①坂口・ハイティ(とその恋人)は死に至る直接の原因がセレクターバトルの外部に存在し、その時期を早めたのがセレクターバトルだった。②病人の少女も坂口・ハイティと同様だが、彼女は一応存命なのでまだやり直しがきく。③幸の身体の死はセレクターバトルに巻き込まれたことを直接の原因としているが、幸の魂は幸せになれたし幸の身体に入っていた別の少女の魂もるう子の願いによって元の身体に戻れたと推測できる。

 よって、「セレクターバトルを直接の原因とした取り返しのつかない不幸=死」を被った人物は(少なくとも描写された範囲では)存在しないわけなんですよ。これが前提としてあるおかげで、selectorのTVシリーズ/劇場版の結末が爽やかな至上のハッピーエンドとして機能するわけです。「苦しいことや辛いことが色々あったけど、そのおかげで自分を見つめ直せたしまあ結果オーライ」というやつです。

 しかしLostorageのかがりはどうでしょう。彼女は明朗快活な少女で、およそセレクターに似つかわしくありません。前作では大体家庭環境の悪い女か友達のいない女か性格の悪い女(つまり内外に問題を抱えた少女)がセレクターバトルへ参加することになってたわけですが、かがりはそのどれにも当てはまらなさそうです。つまり、彼女には死ぬ理由/死んでほしいと(作中人物・視聴者双方含めて)願われる理由がどこにも存在しません。おそらくセレクターになっていなければ、今も楽しくJKライフを満喫していたことでしょう。

 そう、つまりかがりはまさしく「セレクターバトルを直接の原因とした取り返しのつかない不幸=死を経験してしまった少女」なのです。と、ここで「死んだ」と言い切っていましたが、実は死んでない可能性もあります。現実に即して考えると状況的に100%死んでいますが、そこはアニメなので来週の話が「いや〜なんとか一命を取り留めたようで〜」から始まる可能性もなくはないです。ですが、おそらくそれはないんじゃないかな?という気がしています。だってそんなの拍子抜けじゃん!!!あそこまでハイ死んだ!死にました!みたいな演出しておいて死んでませんなんてもうそういう茶番で萎えさせられたくない!!!!!(個人的な感情)

 はい、すみません。ちょっと興奮してしまいました。私に「実は死んでませんでした」展開へのトラウマがあるのは別にしても、わざわざあそこで前作が描写するのを避けていた「死人」を明確に打ち出してくることにこそ意味があるんじゃないかと思うので、私は「かがりは本当に死んだ」に賭けます。さっき挙げた心身ともに死んだ人間の例(坂口・ハイティの恋人)はスピンオフコミカライズのものであり(一応)本編描写ではないので、selectorのアニメに限って言えば死人は出ていません。それなのにわざわざその禁忌を破って死人を出す。しかもセレクターバトルがなければ確実に今も人生を謳歌していたであろう少女を死体にする。これには明らかに制作側の意図があると思います。

 その意図について邪推する前に、今作のセレクターシステムの根幹についてのお話をしようと思います。前作では、繭というハイパーぼっちの内面拗らせ怨霊少女がその怨念パワーを元に始めたのがセレクターバトルというゲームでした。しかしそれもさまざまな苦難を乗り越えウルトライケメンガールへと成長したるう子により繭が救われたために終幕を迎えます。るう子の「すべてのルリグを人間にする」という願いが聞き届けられ、あるべき場所へ魂が還った少女たちは、さまざまな想いを胸に自分の人生を改めて歩き出す……という超爽やかな結末で、TVシリーズと劇場版ではディテールに差異があるのですが、私はどちらも大好きです。

 そう、すべては終わったはずだった。それなのにLostorageで再び、セレクターシステムが作動しはじめます。ですがその形態やルールは前作のそれとは似ても似つかず、せいぜい「理不尽なゲーム」であり「ゲームプレイヤーがセレクターと呼ばれる」くらいしか共通点がありませんでした。私は「今作の舞台は前作の数年後である」という情報が明かされた時点では、「まーた繭みたいな拗らせ女がひな形流用してゲームをはじめちゃったかあ〜ていうかシステムから繭のオリジナル要素消えすぎててリスペクトする気がまったくないのウケる〜〜〜」くらいに軽く考えてました。

 しかし、その甘い幻想は9話で打ち砕かれます。なんと今作のセレクターシステムの基礎を成すものは、「多くの少女たちの失われた想いは二度と戻ってはこない。消えることのない想いが淀み合って意思を持ち新しいゲームが始まった」(清衣談)を額面どおり受け取るなら、「前作の結末に納得いかなかった/救われなかった少女たちの怨念の集合体」ということになるのです。

 

 ねえちょっとそれマジであんまりじゃない?????

 

 この真実、多分前作最終回がさほど刺さってなかった人にとっては「ありがち、想定内」って感じだと思うんですよ。確かに前作とつながりを持たせつつ一番妥当な感じでまとめるならこれしかない、というのはわかります。でもね、前作最終回(あるいは劇場版の結末)を思い出してみて下さいよ。前作主人公のるう子は悲しいゲームを終わらせるためにめちゃくちゃ頑張ってくれました。でも頑張りはしたけど、自分自身や誰かを犠牲にしようとはしなかったんですよ。(一度は自分が犠牲になることですべてを収めようとしてましたが、それはタマによって否定される)彼女は最終的に「全部を選ぶ」と言い切ってくれました。何かを捨てて何かを選ぶのではなく、それがたとえどんなに困難な道であったとしても、すべてを選ぶのだと。私はこれにめちゃくちゃ感動しました。現実では絶対に無理な理想論ですが、だからこそそれを迷いなく言い切ったるう子の姿が超かっこよくて惚れました。

 でも蓋を開けてみるとどうでしょう。るう子の願いは確かに多くの人を救いましたが、それでもそこからあぶれてしまった人もたくさんいた、ということがこの設定で明確になってしまったのです。確かにるう子が示したのは「すべてを選ぶ」という意思だけであり、本当にそれを実行できるかどうかは度外視してる部分がありました。(実際TV版最終回ではタマが人間になれたかどうかは保留の扱いでした)でも、私としては「きっとセレクターバトルに関わったみんながなんやかんやで幸せになれる、小湊るう子はすべてを選べた、そうであってほしい」と思ったわけですよ。実際最終回は未来の希望に満ちあふれたものでしたし、そういう幸福を予感させるものでした。

 確かにるう子の願いは「すべてのルリグを人間にする」というもので、「セレクターバトルに関わった人間とルリグすべてが幸せになる」とかそういうのではなかったからそもそもお前の視点がなんかズレてない?と言われそうなんですが、でもるう子の願いは「みんなが幸せになれますように」っていうのを裏に持っていたと思うんですよ。「みんな幸せになる」なんて抽象的な願いはいくらマユが特別なルリグでも叶いっこない願いだけど、それでもどうにかしたいと思って必死に考えた末の答えだったと思うんです。

 そう、だからこその劇場版selectorだったと思うんですよ。TVシリーズでは唯一救いの埒外にいたウリスにも、彼女なりの幸せを与えようと。つまり、TVシリーズの結末と劇場版の結末は互いに否定し合うものではなく、またどっちが正史かということでもなく、テーマ的に補完しあうものだったと私は解釈してます。(ユキの扱いに関しては妄想力をフル回転させないと上手い答えが出てこないというのは確かにありますが)

 そういうわけで、私ははじめから「前作で救われなかった子たちの怨念によってゲームが再開された」という可能性を考慮してきませんでした。そんなこと考えたくもなかった。みんな幸せになれたんだ、今のセレクターバトルはまたどっかの関係ない女が感情を暴走させてガワだけ借りて始めた別物なんだ……そんで清衣ちゃんは不幸体質を発揮して偶然巻き込まれてしまっただけなんだ……と信じていたかったんです。

 ですが無情にも、Lostorage第9回で明かされた真実により、「すべてを選ぶ」というのが机上の空論にすぎなかったと突きつけられてしまいます。誤解しないでほしいんですが、だからといって即Lostorageがselectorの結末を否定した、とは思っていません。むしろ前作のテーマをきちんとふまえてリスペクトしつつ、それに対するLostorageなりのアンサーを出そうとしてるんじゃないかと解釈しています。だからLostorageのこと嫌いになったわけじゃないしむしろさらに期待度上がったわけですが、それはそれとしていろいろしんどいんですよ!!!るう子の願いが完全には果たされなかったと突きつけられてしまうのがさあ!!!

 はい、ここでちょっと話題を転換します。前作では、自分では何も選ぶことのできないまま死んでしまって、でも「普通の女の子」はみんな好きに願って好きに選べて未来がある、ということを激しく妬む繭の感情がセレクターバトルが始まった背景にありました。だから繭は「自分で幸せを選んだつもりが、実は破滅を選ばされてしまっていた」という状況に少女たちを追い込んで生きる希望を失わせたいがために、あんなクソルールのゲームを運営していたわけです。でも結局は、絶望的な状況に置かれてもなお自分たちの幸せを選び取ろうとする少女たちの意思に、その思惑が阻まれてしまうわけなんですよね。

 つまりこれは、(ちょっと飛躍が含まれているかもしれませんが)「生きてさえいればやり直せる」ということだと思うんですよ。どんなに辛い目に遭って限界まで追い込まれても、命さえあれば、自分で選ぶことさえできればどうにかできる、という前向きなメッセージを読み取れるんじゃないかと思うんです。(繭みたいな超特殊な環境下の場合はともかく)

 そう考えると、Lostorageにおけるselectorへの逆張り箇所が見えてきます。まずセレクターたちの末路。前作では三敗すると願いが反転し地獄を見て、勝ち抜けてもやっぱり地獄な代わりに魂までは失わずに済みましたが、今作では負けたら容赦なく消されます。(勝てば悪くても精神崩壊で済みますが…)消された人格もどこかにアーカイブされていてサルベージ可能であるという希望は残っていますが、どちらにせよ敗北した人間に「選択」の余地は一切残されていません。ただ静かに消えるだけである今作のセレクターたちの姿は、前作で三敗ルールの理不尽をはねのけて作品のメインを張り続け、「選択」を続けた一衣や晶とは対照的です。

 そもそも、前作では願いを叶えるために戦うか戦わないかまで含めて自分で選ぶことが可能でしたが、今作ではほぼ強制です。90日ルールによってバトルせざるを得ない状況に追い込まれるのです。当然ここにも選択の余地はありません。(白井君が頑張って抜け道を探そうとしていましたが徒労に終わりました)selectorではセレクターとして、ルリグとして「何をどう選ぶのか」が状況を打破する鍵になっていましたが、Lostorageではそもそも「選択の余地」そのものが入念に潰されています。「何が選択者(セレクター)だ、お前に選ぶ権利などない」と言わんばかりです。

 で、ここでLostorageに死人が出た意味についての話にようやく戻ってくるのですが、selectorが直接的な死亡者を出さなかったのは、やはり先ほど述べたような非常に前向きなメッセージを内包した作品だったからだと思います。selectorって、すごい雑に言うと「生き辛いなあって思ってても、それでもまあ生きてればどうにかなるよ」っていう良い意味で楽観的なメッセージの作品だったと思うんですよ。メインキャラはどいつもこいつも社会のはぐれもので割と苦しい立場にいるんですが、そのままでも幸せにはなれるよ、別に無理して「まとも」「健全」にならなくてもまあなんとかなるよって感じで、家族や社会との関係における葛藤は解消されずとも、各キャラそれぞれの幸せを見つけることができていました。そしてその「幸せ」をつかむために唯一必要なものが「自分で選ぶという意思」っていう話だったと解釈しています。だから死んじゃったら元も子もないんですよね。

 selectorには「生きてれば幸せになれる」そして「犠牲の上に成り立つ幸せはNO」っていう論理があって、だから「セレクターバトルに起因する人死に」は不要だったということです。「参加者が誰も犠牲にならずに理不尽なゲームを終わらせる」っていうのがselectorの独自性だったんじゃないかなと。他の不幸はともかく、死っていうのはもうどうしたって取り返しのつかない犠牲の一種なので、この理念を達成するためには「セレクターバトルのせいで死んだ人」がいちゃいけないんですよ。(坂口とか理念にギリギリ抵触するかしないかの人死にはありますが)

 ですので、Lostorageがセレクターバトルに直接的な原因がある死を持ち出してきたのは単なる悪趣味やホラー要素ではなく、前作の理念に対する懐疑的なスタンスを明確にする意図があったんだと思います。るう子の願いからもあぶれてしまった少女たちの怨念により生まれた新システム、「選択する者」ではなく「(生け贄として)選ばれた者」としてのセレクター、ゲームによって生まれた犠牲者……そのすべてがselectorの理念に反しています。あえて前作の理念を否定するかのような要素をぶつけて、物語の中でその対立をいい感じに解消させることにより、前作selectorと「前作の続編」としてのLostorage双方の作品テーマの強度を高める狙いがあるんじゃないでしょうか。

 いやーそうだとするとLostorageはやっぱり続編として本気ですね。前作と同じようなことをやったんじゃただの二番煎じになるし、かといってまったく前作をメタらず独自のことをやっていたのでは同一世界設定の明確な続編である意味がない。そうなるとやっぱりできることは「今作独自のテーマとは別に、前作のテーマ・理念に疑問を呈して、それに対する独自のアンサーを付け加える」というものになりますよね。これめっちゃ難しいと思うんですが、監督のことは信頼してるので絶対いい感じにまとめてくれると信じています。(どういう風にテーマをバシッと決めるのかさっぱり見当もつきませんが)selectorの二番煎じにもその他の作品の二番煎じにもならない最高の結末を待ってるぜ……!!!

おわりに

 そういうわけで、なんかぐちゃぐちゃ考えすぎて自分でもよくわからなくなってきましたが、人が死んだことと今作のセレクターシステムの正体にショックを受けてる人間(主に私)に対して「は?なんで?」みたいなことを言ってた人を観測して「あ!!??!?こっちの台詞じゃボケ!!!!!」とキレてその理由を思う存分ぶちまけてやろうとして書いたのでまあこれで満足です。あと私は直接観測したわけではありませんが、Lostorageの展開に対して本気で「selectorを侮辱してる!」と思った人間に対しても先んじて「スタッフ入れ替えキャラ入れ替えだけど同一世界設定の続編というアレなのに前作にメタ張らないでどうすんだよ!!!!!ア!!??!?」とキレておこうと思ったのでこっちもとりあえず満足です。

 いつもより真面目に書いたわりにはいつも通り読み辛い文になってしまって反省してます。文学部のくせに文章や論の組み立てがへたくそなのマジで救いようがないですね。精進します……。ここまで読んで下さったみなさん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

これからのちなすずの話をしよう

はじめに

 いきなり某書のパクリタイトルですみません。前回の記事のことは忘れて、今回はきちんとちなすずの話をやっていこうと思います。

 5話までのちなすずは「すず子の自分に対する依存に対して依存し、その結果頑張りすぎて壊れた森川千夏」と「意志が薄弱で森川に導かれないと自分では動けない穂村すず子」という構図でした。しかし6話でその考えは覆されます。

 そう、穂村すず子の森川千夏に対する依存は森川によって仕組まれたものであり、本来のすず子は人の輪の中心に立って周りを無意識に引っ張っていく少女だったのです。それだけではありません。前回の記事で喚いたように、森川は元からすず子に対する嫉妬心と独占欲にまみれていた女だったのです。まだまだあります。なんとすず子と森川の出会いは幼稚園時代にさかのぼり、すず子の方から一人で砂山を作っていた森川に声をかけたのがきっかけです。この頃の森川は引っ込み思案でなかなかすず子とも打ち解けようとしなかったのですが、そこをすず子がめげずに声をかけ続け、ついには心を開かせたという流れになっています。

 つまり、公式サイトのすず子/森川のキャラ説明文は、本来の関係性に基づけばまったくの大嘘、というか重要なことを何も書いていないペラッペラの解説だったのです。ちくしょうスタッフめ、騙しやがって…!!!本当にありがとうございます、ただでさえ最強だったちなすずにこういう幼なじみ特有の味わい深いエピソードまで添えていただけるなんて感謝の念に絶えません。はい、というわけで6話で起きたちなすずの大型アップデートをおさらいしつつこれからのちなすずがどうなっていくのか妄想していきましょう。

 

6話で何が変わったのか?

 「はじめに」のところで概要はサラッと書きましたが、ここでは具体的に何がどう変わってどれだけすごいのかということを一つずつ拾い上げて書いていこうと思います。

 とりあえずわかりやすいように箇条書きにしてみます。以下が6話で投下された爆弾一覧です。

  1. 森川とすず子の出会いは幼稚園にまでさかのぼり、すず子が積極的に声をかけて森川の心を開いた
  2. 見てるこっちの背筋が寒くなるような森川のすず子に対する負の感情
  3. すず子の過剰な依存心は森川が意図的に誘導して生まれたものだった
  4. 本来のすず子は人の輪の中心で笑っている太陽のような人間だった
  5. 1〜4をふまえて公式サイトの説明文を読むと色々ヤバい
  6. 1〜4をふまえて1〜5話を見直すと色々ヤバい

 こんな感じですかね。いや〜本当に衝撃的過ぎてやばかったです。一度に詰め込まれた情報量が多すぎる、最高。何が良いって、ひっくり返し方の鮮やかさですね。ちゃんと計算して作られてるんだな〜〜〜と感心してしまいます。まあその辺が逆に真面目過ぎて面白みに欠ける部分でもあったりするのですが。もっと言うと、ちなすずの関係性やセレクターシステムの謎に興味を持てなかった人にはかなりきつい構成です。

 ここからちょっと脱線して、作品自体に対する私の感想めいたものを書いておきます。『Lostorage incited WIXOSS』という作品は「穂村すず子と森川千夏の関係性のうねりをドラマのメインに据えて、カードバトルをそこに絡めつつきっちり描く」ということを限られた尺で真面目にやろうとしているなと感じます。あ、あそこの描写はここにつなげてくるためのものだったのか〜とか、限られた時間を最大限活用して見せたいものをしっかり見せてきてるな〜ブレないな〜というのがビシバシ感じ取れるので、見ていて最高に気持ちがいいです。

 ですがこういうテーマで優等生的な物語展開をさせると、必然的にメイン2人以外のキャラが舞台装置化します。生きたキャラクターではなく物語上の役割に忠実な駒に見えかねず、キャラ同士の掛け合いを眺める楽しさもかなり薄味です。とはいえそれも7話でかなり解消されたと思います。7話を見たら今まで興味なかったちなすず(とはんな)以外のキャラクターも(男含めて)すごく好きになりました。グズ田が里見のパシリになってるところとか、鳴海vs莉緒の掛け合いとか見てて楽しかった。ただまあ7話にたどり着く前に脱落した人が多そうですし、そもそも男キャラそのものが不要と言うか、客を遠ざける要因になっている気もします。(私としては重要キャラが大体男で構成されてるおかげで気を散らさずちなすずに集中できるからむしろ良かったのですが)

 男女をまんべんなく出しておいた方が色んな層にリーチできる可能性が広がるとは思いますが、そもそも原作は美少女しか出てこないカードゲームというニッチな層を狙って作られたものですし、さらに百合を意識したスタッフ選びや物語展開が各メディアミックス作品で一貫しています。このような万人受けを捨てた特定層狙い撃ちスタイルであるところと、ロストレージにおける主要登場人物の男女比が上手くかみ合ってません。私も放送前は「なんでこんなに男多いの〜?要らない〜〜〜」という感じでしたし、放送開始後もしばらく男キャラの名前を覚える気がありませんでした…。

 あとやっぱり扱ってる内容に目新しさが少なく、画面が地味になりがちなのも訴求力が低いポイントかなあという気がします。まあ前者はそもそもカードゲームの販促アニメなんだからこれ以上どう工夫しろっていうんだっつー話ですし、後者は予算の問題だからどうしようもない…。「画面見てるだけで楽しい」みたいなのをやろうとすると、金と時間と能力のズバ抜けた人間がたくさん必要になりますからね……。

 なんかさっきからロストレージのことめっちゃdisってない?と思われそうですが、私はこの作品のことがめっちゃくちゃ好きです。旧ハンター×ハンターアニメ並みにブッ刺さってます。BDもマラソン予定です。じゃあなんで?と言われると……なんででしょうね……。自分の中の盛り上がりと世間のそれとの温度差をなにげに気にしてしまっているのかもしれません。その辺の合理化行動ですかね……。ていうか多分最終回まで見たらべた褒めしかしなくなると思うので、今のうちに自分の中にわだかまるマイナス意見を吐き出しておきたくなったのかもしれないです。

 はい、というわけでちょっとどころかかなり脱線してしまいました。本題に戻ります。まずは項目1、ちなすずの出会いについてです。いやもうね……。これは「え、そこまで私に優しくしてくれるの?マジ?」という展開で、本当にうれしかった。余談ですが、ロストレージの脚本家はなんとあのアニデレみくりーな回(11話、19話)を担当した方であり、友人との会話の中でそれが判明したときは運命か?と思ったものですが(みくりーな大好き)なんとその上に、ロストレージの監督が私を百合厨に仕立て上げたOVAエイリアン9』3話の絵コンテ・演出を担当されていたと知ってひっくり返りました。これ普通にすごくないですか?私を百合に目覚めさせてくれた場面(急な大雨の中バス停で2人きりになった女の子の短い会話を経て背後からの抱きしめ)の生みの親が監督してるアニメの百合カップリングにかつてないほど大ハマりしてるんですよ?人生の伏線回収が鮮やか過ぎます。

 また脱線しました。ちなすずの話をします。まずね、「幼なじみの出会い」を描いてくれたってのが本当にありがたい。幼なじみってね、幼少期のエピソードを断片的に示してくれることはあっても、「じゃあなんで仲良くなったのか?」ってところはぼかされてたり超簡潔な台詞や一枚絵で済まされがちだったりするところがあるじゃないですか。それを限られた尺の中でちゃんと描いてくれたってのがまずうれしいし、その上その出会い方そのものが物語上ですごく意味を持つ要素になってるのがね、「物語構成がお上手〜〜〜」って感じで最高です。

 さらにこの描写によって、ちなすずというカップリングの構造の美しさがよりパワーアップしたように感じます。この辺を語ると多分記事が一本出来るレベルだと思うので深くは突っ込みませんが、(多分最終回後に「ちなすずの構造」みたいなタイトルでなんか書くと思います)これまで一方的に憧れる/憧れられるという関係だと思われていたちなすずが、本当はそうじゃなかった、むしろ始まりは逆だった、ということが示されて、よりちなすずの構造におけるシンメトリーな美しさが強化されたように感じます。そう、やっぱり「対」なんですよねこの2人は。すず子役の橋本ちなみさんがニコ生で「すず子と千夏は陰陽」とおっしゃっていたように、森川千夏と穂村すず子は互いを補完し合う半身同士なんですよね〜〜〜〜〜。いやすず子は森川と出会わなかった方が幸せな人生を過ごせてたかもしれませんが、きっとどんなに傷つけられたとしてもすず子にとって森川の存在は欠かすことのできないものなんでしょう……。そういうところだぜ……。

 では次に具体的な描写そのものを見ていきたいと思います。まず森川が一人で砂山を作ってるっていうのが!やばい!!!森川は最初からスクールカースト上位者というわけではなかったんですね…。幼稚園時代の森川は、名前を尋ねられてほおを赤らめながら俯いたり、表情の変化に乏しかったり、すず子から「一緒に本読もう!」と誘われたのに隣ではなく距離を置いて座ってすず子の反対向いて本だけに集中してたり、本当に絵に描いたような内気ガールで笑いました。それが今では文武両道の元バスケ部・コミュ力激高・色仕掛けから暴力による脅迫までお手の物な恐ろしい女になってしまった……。好き……。

 いやマジで森川千夏にここまでの変化をもたらしたのが穂村すず子以外の何者でもないのがすごすぎる。今現在の森川千夏は2話の覚醒以後も含めてまるごと穂村すず子に呼応するように生み出されているっていうね。本当に圧がすごい。前の記事で喚き散らしたように、森川の異常な負けず嫌いさや嫉妬深さは生来のものなんでしょうが、穂村すず子への敵対心でそれがより加速しているのが見て取れますしね。何もかもすべてがすず子ありきの行動なんですよ森川は。おそらく自分では気づかないふりしてるんでしょうが……。

 すず子にしても、どうしてあんなに反応の悪い森川に何度も声をかけたんでしょうか。普通なら途中で心が折れるというか、何この子つまんないってなって興味を失ってしまいますよね。でもそうはならなかったというところもすごく好みです……。6話において森川千夏→穂村すず子はこれ以上ない形で完璧な説明がなされたわけですが、原初に戻った時点での穂村すず子→森川千夏には合理的な説明ができない……。あるいはすず子に博愛的な傾向があると仮定した場合、森川に対する声かけも別に特別なことではなく、周囲の人間に対して平等に与えられる慈悲だったと考えられますね。だとすると……。そのへんについては項目4で詳しく書きます。

 項目2に入ります。森川千夏の穂村すず子に対する恐るべき負の感情……。こちらについては前回の記事で詳しく書いたので、オタクの自分語りがセットでついてきても気にしないよって方は読んでみて下さい。私の解釈だと、森川千夏の本質は圧倒的に負の側にあります。2話の時点だと「逆ご都合主義で畳み掛けるように追いつめられた結果壊れた」という風にも受け取れるんですが、6、7話を見ると7話ラストで森川自身が「ようやく私になったの」と言った通り、もともとこういう人間性だったのを内面化された穂村すず子の視線によって矯正していただけに思えるんですよね。「優等生で、いつも正しくて」「間違ってると思ったら先輩にも先生にも食ってかかる」という性質は本来の彼女の暴力性や勝気さにすず子の視線というテコ入れがなされた結果なのかなあとも思います。兎にも角にも、森川千夏→穂村すず子が最初から「愛憎」としか形容できないものだったとわかり、「あーやっぱりちなすずって私のためのカップリングだな…」感がさらに増しました。ありがとうございます。

 項目3です。はい、ここが一番ヤバいですね。5話までは「穂村すず子と森川千夏のズブズブ共依存」だと思われていたちなすずでしたが、蓋を開けてみると実は「森川千夏がズブズブ共依存の沼に穂村すず子を無理やり引きずり込んだ」というものでした。怖いってもんじゃねえ……。森川マジでお前の世界には「すず」と「それ以外」しかないのかよ……。

 要するに、「すず子からの憧れの視線に快感を覚えてそれを内面化した結果歪んでしまった森川千夏」という構図ではなく、「すず子を独占するために自分に対する依存を植え付けようとしたくせに、今になってそれをすず子の存在ごと否定しようとしている森川千夏」だった訳です。つまり全部森川千夏が悪い。こいつほんま最悪の女やな……そこが好き……。

 だから穂村すず子さんは森川千夏に出会わなかった方がずっと幸せな人生を送れていたはずなんですよね。「要らない!私の中の貴女は全部消えて!すず!」じゃないんだよ森川、むしろ要らないのはお前の方だよ森川……。でも穂村すず子は森川千夏を見捨てないんですよ、それどころか「その手をつかみたくて がむしゃらに駆け出した」になるんですよ〜〜〜〜〜!!!やっぱり『undeletable』は穂村すず子の歌なんだよな……。穂村すず子さんは森川千夏の綺麗な面だけじゃなくて、ドロドロした負の面も全部ひっくるめて好きになってくれる人だと思います……。でも森川はおそらくそう思ってないんですよね。「穂村すず子の理想の人間」でなければ自分のことなんて見てくれないと思っていそう。森川は全部自分の思い込みありきで行動してるフシがあるので、すず子に対しても「汚い独占欲にまみれてて、その上なにもかも上手く行かない惨めな私のことなんてきっと貴女は見捨てる、その前に私が貴女を捨てる」くらいのことを思ってても不思議じゃない。森川千夏の精神状況は複雑過ぎて筆舌に尽くしがたい……。ぜひロストレージでもオフィシャルファンブックを出してもらって、監督や脚本の方による森川のキャラ造形に関する記述を見たいです。ホビージャパン頼んだぞ。

 項目4に行きます。はい、6話は森川関連が諸々衝撃的でしたが、同様に驚かされたのが穂村すず子の人間性に関してでした。ぶっちゃけ5話までは、頼れる他人に後押しされないと何もできない依存タイプなのかな〜と思っていました。それでも主人公なので物語の途中で覚醒するだろうとは予想していましたし、一度リルに鼓舞されればまっすぐ前を見据えて冷静に自分のバトルを展開できていたので、本質的には強い子なんだろうとは思っていましたが。

 でもあそこまで「赤」!主人公色!!って感じのキャラだとは思ってなかったんですよ、幼稚園時代の回想を見るまでは。6話見る前は、すず子ってよくも悪くも「THE・女」ってキャラだと思ってたんですよね。優しいしかわいいし家のこともできるし素直だけど、それしかない、みたいな。他人に示してもらった道を疑問を持たずにただ歩くことしかできなさそうというか、なんかこうぽや〜っとしてて夢見心地の乙女っぽいなと感じてたんですよ。(そしてそこが将来的にバリキャリやってそうな森川と正反対すぎて相性最悪そうだと思ってた)だけど本当のすず子は違ったんですよね。彼女は月ではなく太陽だった……。

 彼女は他人がいないと何もできないどころか、むしろ周囲をその柔軟な発想力でもってぐいぐい引っ張っていくタイプだったのです。すごい、全国の企業が欲しがってやまないタイプの人材じゃん。そんな人間がどうして6話までの引っ込み思案で弱気な少女になってしまったのか。はい、言わずともわかりますね。9割9分森川とすず子父のせいです。こいつらのどちらかがもうちょっとまともだったらLostorage incited WIXOSSの物語は始まっていませんでした。転校の繰り返しによって娘にかかる負担も考えず、ひたすら仕事に逃げてコミュニケーションもろくに取らない、その上おそらく家事全般を娘に丸投げしてるダメ親父と、良きアドバイザーの親友だと思ってたら、その実相手を独占したくてたまらないあまりに自分に対する憧れと依存を刷り込んでくるタイプだった激重レズビアンによって精神的に追い込まれてしまった穂村すず子さん普通にかわいそう……。まあそれでもすず子は父親や森川を嫌ったりはしないのでしょうが。なんかこの辺ちょっと穂村すず子と戸賀崎幸がダブりますね。ちなすずはるみさちとはまた違う道を選ぶんじゃないかと思うのですが、具体的にどうやって森川千夏の素直な感情を引き出すつもりなんでしょうか。気になりすぎて毎週金曜日が待ち遠しくて仕方ありません。最終回を泣かずに見る自信がないのですが、困ったことにいつも居間のテレビで見ているので親がそばにいるケースが多いんですよね。森川千夏を見ながら号泣してるところ絶対見られたくない……。

 項目1で少し触れましたが、「なぜ穂村すず子は森川千夏に声をかけたのか問題」がまだ解決してませんね。この点は本編でも詳しく描写されていないので何とも言えませんが、前作主人公のるう子が「博愛的」と評され、劇場版の実質的なヒロインだった幸にも「るう子と似た部分がある」と言われていたことから考えて、そうした性質をすず子が引き継いでいると仮定した場合、森川に声をかけたのも、すず子にとっては本当にただの「当たり前の行為」だったのかもしれません。そうなるとちなすずの闇がいっそう濃くなるんですよね……。森川にとってすず子は最初から「唯一の存在」だったわけですが、すず子にとっての森川は「大勢いる友達の中の一人」だった可能性が出てきますから。とすると今の相互依存関係は、森川が必死に努力してすず子を太陽の座から引きずり落とした結果ということになってしまうんだよな〜〜〜!!!いわば堕天ですよ堕天。森川は穂村すず子の白い翼(なにげにリルにも生えてる!繋がった!)をもいで自分の鳥かごに入れてしまったんですよね〜〜〜〜〜。ちなすず罪深い〜〜〜〜〜。もし巨大女性向けジャンルのカップリングだったら、天使と悪魔パロの作品が胸焼けするほど出回ってますよ〜〜〜。私はその手のパロディにはあまりピンと来ないタイプなんですが……。(自分から言っといてそれ?)

 イケイケドンドン項目5です。ここで公式サイトを開いてみましょう。そして穂村すず子のキャラクター解説ページを見て下さい。「親友と呼べる友達は皆無。唯一の親友だった千夏の存在とその思い出に過剰に依存している。」……すごい、最初にこの文読んだときも相当闇だと思ったのですが、今見ると本当にヤバくて絶句ものですね。

 だって、池袋にいた幼少期の穂村すず子はたくさんの友達に囲まれてたじゃないですか。「すずちゃん、何してるの?」なんて声もかけられてたわけですし。「すずちゃん」ってかなり親しみが込められた呼称ですよね。そんな彼女が「千夏以外に親友がいない」って、んなわけないと思うでしょ。でもこれは事実なんですよね。森川千夏が穂村すず子を囲い込んでいた結果ですよ。本当に怖い。具体的にどうやってたかはわかりませんが、森川はすず子に自分以外の親友ができないように裏から手を回してたんじゃないかと思います。いやまあそこまでガチに怖いことはやってなかったと思いますが、学校でも休みの日でもできるだけすず子にべったりくっついて、他人を寄せつけないような雰囲気を作ったりはしてそうです。でももしちなすずが同じ中学に通ってたら、森川も本気出して(すず子に近づく人間に対する軽い脅迫やいじめスレスレの排除行為を含むような)穂村すず子の囲い込みを始めてたような気がします。そういう同人誌をな……出したいよな……いつか……。

 はい、次は森川千夏のキャラクターページに移動してください。「小さい頃から成績優秀で運動も得意な優等生。おっとりした性格のすず子とはなぜか気が合い、いつも一緒に遊んでいた。すず子が向けてくる憧れの感情を誇らしく思っていた。」じゃねえんだよ公式!!!!!何しらばっくれてんだコラ!!!!!!

 すみません、取り乱しました。でもこれすごくないですか?嘘は言ってないけど重要なことを何一つ言ってない。「なぜか」じゃねえんだよ「なぜか」じゃあ。あんなの出会いからして必然も必然じゃん。ていうかむしろおっとりというかマイペースの極みだったのは幼稚園時代の森川のほうだよ。「憧れの感情を〜」のくだりにしても、森川自身がそう仕向けてたんじゃん……という事実を知った今では薄ら寒い文章に見えます。優等生なのだって、すず子の気を引きたくて必死になった結果だという可能性を考慮すると……うん……。公式サイトの説明文こわいよお……嘘は言ってないけど真実もどこにも載ってないよお……。

 やっとラストの項目6です。この時点でもう8000字超えてるんですが読む人いるのこれ?それはともかく、6話の描写をふまえた上で1〜5話を見ると『森川ァ!!!!!」と叫びたくなるシーンが続出します。それらを細かく列挙していくと文字数が大変なことになりそうなので、個人的にポイントだと思った2点だけにしますね。まずは2話。「ちーちゃんみたいになりたい」というすず子の言葉を受けての「すずはそのままがいいよお」です。ここの意味の変化を最初に指摘したのは私ではなくインターネット掲示板のオタクだったので、それを見た瞬間「負けた……!!!」となりましたが、まあそれはどうでもいいですね。2話時点で「そのままがいいよ」という言葉の裏に「そのままでいてもらわなければ自分が優位に立てないので困る」というニュアンスが隠れているのでは?というのはみなさん思っていたでしょうが、6話で駄目押しが来た形です。しかも思ったよりよっぽど深刻で切実な願いでした。自らの優位性を守らなければ、森川はすず子を独占できない(と思っている)んですよね……。怖いけどつらい……。

 次に飛んで5話です。森川が「貴女の都合のいいように私を使わないで……。虫唾が走る!!!」と叫んで思い出のマスコットを踏みにじるのですが、ここで森川が本当に否定したかったのは、穂村すず子を縛り付けようと必死だった自分自身だと思うんですよね。だって踏みつぶしたマスコットを作ったのは森川自身ですよ?多分あのマスコットって、「すず子が引っ越す」となって、離れてしまってもどうにかすず子を自分に繋ぎ止めておきたくて必死に考えた結果の苦肉の策だったと思うんですよ。つまり、あのマスコットは森川千夏の穂村すず子に対する並々ならぬ執着心の象徴みたいな側面があったと思います。だからここで「虫唾が走る」のも踏みにじったのも、すず子ではなくかつての自分自身だったと思うんですよね〜〜〜。森川……お前って女は……。自分に都合良く相手を歪めていたのもすず子ではなく森川自身のほうですしね。本当にすべてが自分の中で完結してる人間だなあ……。そのくせ他人にガンガン八つ当たりするんですからろくでもないやつですよ本当に〜〜〜〜〜そこが大好き〜〜〜〜〜〜〜。

 

これからのちなすず

 はい、長いおさらいが終わっていよいよ本題……と言いたいところなんですが、ぶっちゃけ言いますと、ちなすずがこれからどうなるかさっぱりちっとも全然見当もつきません!!!!!!!

 こんだけ長々前置き書いておいてそれ!?と怒られそうですが、だってわかんないんだもん。ていうか、もう下手に予想とかしたくない。ただひたすら公式からのお答えだけを待ちたい。森川千夏が果たしてどこまで闇の果てを走っていくのか、どうやってすず子はどこまでも逃げる森川のその手をつかむのか、すべてはもう公式だけが知っている。完全に作品世界に没入してしまっている私はもう、その答えを座して待つしかできません。

 強いて言うなら、森川が周囲に及ぼした数々の被害の落とし前をどうやって付けさせるつもりなのかだけが気がかりです。私はもはや森川千夏ガチ恋勢(詐欺に遭って捨てられる前提)なので森川がどんな悪人の道を歩もうと最後までついていくつもりなのですが、一般視聴者目線だとそうもいかないじゃないですか?森川がなんやかんや救われたとしても、何らかのしっぺ返しがないと不満に思う視聴者が結構出てきそうな気がするんですよね。まあそういう人間はほっとけばよくない?とも思うんですが、ロストレージくんはクソ真面目な作品なので、作劇上の要請として森川に対する因果応報をバッチリ用意してきそうなんですよね……。あの……森川が非常にアレな女なのは私もわかるんですが、頼むから手加減してあげて……。好きな子が辛い顔してるところ見たくないの……。お願い……。穂村すず子さん本当に森川千夏のことをよろしくお願いします……!!!(何目線?)

 

おわりに

 なんとこの死ぬほど胡乱な文章、1万字超えてます。マジで誰が読むの???ここ読んでる人いる???もしおられましたらありがとうございました。お疲れ様です……。もう書きたいことを書き尽くしたので特に付け加えることはありませんが、卒論もこれくらいスラスラ書けたらいいのになあと思いました……。以上です。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読まなくていいおまけ

 7話の森川千夏ちょっといちいち性的すぎるだろ!!!!!!!そういうのやめろ!!!!!!!!何回7話リピートしたかわかんねえよ!!!!!!もういや……。好きなカップリングの片割れをそういう風に見たくない……。助けて……。6話見てあまりにも自分の思考回路に似すぎててこりゃアカンと思ってたら7話ぶち込まれてもう……。森川にどういうスタンスで接すればいいのかわからない……。とりあえずめっちゃ優しくされた後に壷とか絵画とか不動産を法外な値段で売りつけられたい……。以上です………。 

 

森川千夏と私の自意識

はじめに

 はい、今回はぶっちゃけちなすずとほとんど関係ない記事です。最初は6話によってもたらされたちなすず観のコペルニクス的転回とそれに対する私のスタンスを表明する記事を書こうと思っていました。しかし、何度も繰り返し6話を咀嚼するうちにこういう考えが頭の大部分を占めるようになったのです。「あれ?森川千夏の思考回路って私のそれとそっくりじゃない?

 気づいたときにはめちゃくちゃ動揺しました。森川千夏に対してヘラヘラと「森川に惚れて人生ぶち壊されてえ〜」だの「顔がかっこいい〜性格が悪いところも好き〜」だの夢女子っぽいこと(?)を言っていたら、6話でいきなり自分の鏡みたいな思考回路を繰り出されてしまったわけですからね。

 そんなわけで、この記事の半分が6話の森川千夏の自解釈開陳、もう半分が私のどうでもいい自分語りで構成されています。基本的にインターネットでは自分語りが嫌われている印象ですが、私個人としてはインターネット・自分語りを見るのはかなり楽しいです。個人ブログなどで場所をわきまえてひっそりなされる自分語りもいいですが、不適当な場面でいきなり繰り出される自分語りも周囲の白い目や嘲笑含めて風情があっていいなと思います。ですので、私と似たような好みの方にとってはそれなりに面白い読み物かもしれません。ちなみにちなすず語りについては7話を見てからやっていこうと思ってます。それはそうと、二次元美少女の思考回路に自分を重ねてしまうことが百合に割り込む男並みの大罪であるような気がしてきました、許してくれ。

 

森川千夏(と私)の思考回路

 6話で一番衝撃的だったのは「最初に手を差し伸べたのは穂村すず子のほうだった(最初は2人の関係性が現在と真逆だった)」というところだと思うのですが、ここではその話をしません。また7話を見てから改めてそのお話をしたいと思います。

 では何の話をするのかと言えば、森川の回想シーンについてです。ここも相当な衝撃だったと思いますが、もしかしたら2話と同様にここの森川の心の動きが理解できなかった人もそこそこいるのではないでしょうか。(そういう人は間違いなくこのブログを読まない)というわけで、私なりにここの森川の気持ちを説明したいと思います。とはいえ、勝手に私が「あっ、こういうこと考えたことある、この発想の飛躍もやったことある!!!」と自分に引きつけて解釈しているので、制作側の意図や一般的に自然とされる解釈からは大いにズレてる可能性が高いです。いつもの通り、ある意味いつも以上に無益な与太話だと鼻で笑って下さい。

 まずは回想シーンにかぶせられた森川のモノローグを引用します。

いつもそうだった

嫌いだった

嫌いだった

私が欲しがってたものをなんの苦労もなく手に入れてしまうその笑顔が

嫌いだった

その笑顔を独占したくて歪な関係を築こうとした自分が

 はい、こうやって書き起こしてみると本当に逆恨み以外の何物でもなさすぎて変な笑いがこみ上げてきますね。きわめて善良かつ健全な人なら、最初の二つの「嫌いだった」の時点ですでに「なんでそうなるの???」と頭に?マークが飛び交っているのではないでしょうか。

 なぜすず子のことが「嫌いだった」になるのか。ここでの「嫌い」に結びついていく感情は三つあります。一つ目は「自分が絶対できない発想をいともたやすくやりのけてしまうことに対する悔しさ」、二つ目に「その発想でもって他人を引きつけるカリスマ的な能力への嫉妬」、そして最後に「自分だけを見てくれないことへの理不尽な怒り」です。うっわ最悪!!!でも全部めちゃくちゃわかる!!!!!

 まず一つ目の感情についてです。この回想シーンの直前、すず子は森川が思いもよらなかった戦法によって森川の攻撃を防ぎます。このとき、森川が自分で「私には思いつきもしない…」とモノローグして視聴者に感情を説明してくれています。そこから幼少期の似たような体験の記憶が呼び起こされるという流れです。回想のすず子は雨で遊べないはずの公園で、「長靴を脱いで裸足で駆け回る」という「私には思いつきもしない」奇策を取ることで目一杯楽しみます。

 もし誰かが自分なら考えつきもしないような素晴らしい発想を編み出す瞬間を目の当たりにしたらどう思うでしょうか。普通(と言うと語弊がありそうですがひとまずこれで)なら「すごい!」と感心するでしょう。でも森川(そして私)が真っ先に思うことは「悔しい」なんですよ。「すごい」と素直に感心する気持ちも当然あります。でも最初に去来する一番強い感情は「悔しい」なんですよね。

 なんて言い切ってしまいましたが、6話で明確にすず子に対する「悔しい」という感情が描写されたわけではないです。ごめんなさい。ですが2話以降の彼女の「負けない」ことへの異常な執着心を見て下さいよ。どうして森川はそんなにも負けたくないのかって、そんなもん負けたら死ぬほど悔しいからに決まってます。ていうか私がそうです。そんな彼女が自分より優れた発想を間近で見せつけられて悔しいと思わないわけありません。(断言)2話を見る限り「負けたくない」ってのは森川千夏という人間の9割9分を構成する「穂村すず子」を消し去った後でそれでもなお残る強い感情なわけですし、どう考えても私とお仲間の過剰な負けず嫌いなんだよな……。だってあの場面で「記憶を消したくない!」じゃなくて「いやだいやだいやだいやだ私は……負けない!」で覚醒ですよ?みんな勝ち負けどうこうより思い出や自分という存在を失いたくない一心で戦ってるのにお前は負けたくないだけかよ!!!!!すぐ勝ち負けにこだわるのすげえ気持ちはわかるけど割と良くない傾向だよ!?

 はい、というわけで次です。「悔しい」とくれば当然次は「嫉妬」です。「え?それは当然ではなくない?」と思った方、その通りだと思います。「悔しい」と思っても「なら私もこんな風になれるように頑張ろう!」と良い方向に悔しい気持ちを転化できる人はすごいと思います。皮肉とかではなく。

 森川はすず子に憧れられたい一心で「優等生」の仮面をかぶり続けていたわけですが、友達に囲まれるすず子を見て「嫌いだった/私が欲しがってたものをなんの苦労もなく手に入れてしまうその笑顔が」とか言い出すあたり、単純に他人から注目と尊敬を集めるのが気持ちよくて優等生ぶってた部分もありそうです。ていうかそもそも相手を独占するための方法として「憧れ」という形で相手を自分の下に置いた上で依存させようとするあたり、プライドがチョモランマよりも高いですね。ぶっちゃけこのへんもよくわかります。人からすごい!って言われるのってマジでめちゃくちゃ気持ちいいもんな、できることなら人の下につくよりも上に立ちたいもんな、わかるよ森川。(最悪の共感)

 このようにプライドが天より高くて過剰に負けず嫌いで人から注目を集めるのが好きな人間はなんでもすぐに嫉妬して勝手に表情が曇ります。簡単に言うと「なんでこいつにできて私にできないんだ、しかも私よりこいつの方が注目されてる、クソッ」みたいなやつです。この感覚は相手を格下に見てなくても普通に発生してくるのが厄介です。というか、明らかに相手の方が能力的に上だと自覚していても勝手にこの感情は発生してきて無理になります。

 それと「なんの苦労もなく」のくだりとかすげえ言いがかりだと思うじゃないですか。でも嫉妬心で脳が埋められてるとそういう言いがかりがバンバン脳内で渦巻きます。「私は頑張っても友達できないのにこいつはヘラヘラ笑ってりゃすぐにすずちゃんっつって人が集まってくるからいいよな〜〜〜」くらいのクソみたいな言いがかりが普通に出てくるので本当にダメです。悔しい気持ちが向上心と同時に嫉妬心にも結びつき、さらにそれは相手を貶めたり嫌ったりする感情にも容易に接続されます。書いてて本当に最悪だな……とヘコんできました。

 ラストです。ここまでとは毛色が違って、三つ目は「自分を見てくれないことへの怒り」です。これも前二つに負けず劣らず自己中心的な感情ですね。これも嫉妬の一種ですが、二つ目の嫉妬と違うのは説明せずとも明らかです。森川のモノローグにある通り、別名独占欲とも言います。

 勝ち負けや立場の高低に対するこだわりとは別に、普通に人を好ましく思う気持ちもあるわけなんですが、なぜか森川と私はこっちも拗らせてます。ちょっと他の子と楽しそうにしてるくらいで機嫌悪くなるの本当にどうかと思う。……と言いつつ、こっちの感情は今ではもうほとんど私の中には残ってません。(前二つの傾向も今では大分薄まりました)今の私には特定の誰かを独占したいみたいな欲望は全然なくなってしまいました。いやまあときどき誰かと相互依存関係になりてえ……みたいなことをぼんやり思わなくもないですが、普通に友人と適切な距離感を保ちつつオタク趣味に全力投球している方が楽しいです。

 はい、ここからスーパー自分語りタイムに入ります。

 今では独占欲ないよと言いましたが、小中学生の頃には森川ほどではないものの、結構な独占欲が渦巻いていました。特に小学校低学年のときですね。当時すごく仲の良かった女の子がいて、その子に対してそれを感じていた記憶があります。通学の道がかぶっていたので毎日一緒に登下校していたのですが、仲良くなって最初のうちはその子には私より仲のいい(と少なくとも私にはそう見えた)子がいました。一番印象に残ってるのがその二人が並んで歩いてるのを後ろから眺めたときの記憶で、背丈が同じで髪型のニュアンスも似てて、並んでると姉妹みたいだったんですよ。なんかそれが悔しかった記憶があります。でもその私より仲良しそうに見えた子はしばらくして転校してしまいました。そのとき「私より仲良い子がいなくなった!」みたいなアレで内心うれしい気持ちがあったのも覚えてます。わあ立派な嫉妬心だね。でも逆に、そこで「相手も自分に依存するように仕向ける」という行動に出て、なおかつそれを成功させた森川千夏がいかに有能かつ深刻な依存女であったかがわかります。ハイスペック美少女が本気で依存行動に出れば相手を共依存沼に突き落とすことは造作もないことのようです。怖い。

 余談ですが、その仲が良かった子も小学校3年(4年だった可能性もある)のときに親の転勤が理由で転校してしまいました。転校直前の席替えで先生が「〇〇転校するし、お前ら仲良いから特別な!」と言って席を隣同士にしてくれた記憶があるので、客観的にも仲良しに見えてたんだと思います、多分。文通の約束もしました。まあ結局1、2通やり取りしただけですぐに出さなくなってしまいましたが。それと、その子の当時の髪型は穂村すず子にちょっと似てましたね、前髪パッツンのツーサイドアップ……。

 はい、同人誌のあとがきにありがちな「彼氏との実体験です♡」並みにウルトラキモい自分語りはやめろ、というかまあこれはただの箇条書きマジックです。こういう話は津々浦々にありふれてますし、探せばもっと、真にちなすず力の高い幼なじみエピソード持ちの女性が見つかりそうです。そういうエピソード持ちの方はこっそり私に思い出話を耳打ちしてくださるとうれしいです。「ちなすずじゃん……」っつってニコニコするので。

 

 そういえば、まだ森川モノローグにおける最後の自分自身に対する「嫌い」についての解釈を記述してませんでした。そっちについて書いたら終わりにします。

 ここでの「嫌い」は自分に対するものですが、これは自分の中に自分の言動を客観視して批判する自分が存在していると生じる感情です。森川もここまで書いたすず子に対する理不尽な嫉妬・怒り・独占欲の存在を認識し、かつそれが身勝手であるとちゃんと理解しています。

 そうなると一つ疑問が浮かびますね。「じゃあなんですず子に当たり散らすの?自分が悪いってわかってるんだよね?」はい、その通りです。たいていの人は自分の中に自分の言動を批判し反省を促すような客観的立場の自分というものを持っていると思いますが、森川と私の場合、反省を促して次につなげるというより自分自身を責めるだけの役割しかしてくれません。要するに自己嫌悪ってやつですね。「こんなことするなんて私って最悪、マジでキモいしありえない」みたいな自分自身を否定する感情が募っていくのですが、ここで最悪なのが元々あった他人に対する理不尽な悪感情はなくなってないという点です。

 「すず子を理不尽に嫌う感情」が「自分自身を嫌う感情」に置き換わるのではなく、前者が保持されたままさらに後者の感情が加算されます。こうなってくるともう代入された感情の値がデカ過ぎて脳がバグり出すんですね。「あいつ嫌い、でもそんなこと考える私が最悪、嫌い、いやだけどやっぱりあいつが悪い、でもやっぱり…」みたいな感じですべてが無理になり思考が停止します。加えて森川はすず子が嫌いなわけではなく本当は好きで好きでたまらないわけです。「悔しさ・嫉妬由来の純粋な「嫌い」/その理不尽さに対する自己嫌悪」とは別の位相に、「独占欲由来の「好き」と表裏一体になった「嫌い」/独占しようと最悪な行動に出てしまう自分に対する嫌悪感」が存在しています。こうなってくるともうだめです、感情があまりにも混線しすぎています。

 ここまでくればもう自分の中で感情を処理するのは不可能です。相手に当たり散らす以外の選択肢が消えます。ここで働く論理は「うるせえそもそも私がこんなにいろんな感情に押しつぶされて辛くなってんのは全部お前が存在してるせいじゃねえか!!!理不尽だとかそんなもん知るか消えろ!!!!!」です。すごいね、自己批判的な感情もまとめて無視して相手に八つ当たりです。いやあ本当に最悪ですがめちゃくちゃ理解できます。って勝手に自分の思考回路に沿って森川千夏を解釈しようとしてるんだから当たり前ですね、すみません……。でもこの回想の後の森川の台詞が「要らない!私の中の貴女は全部消えて!すず!」で、もう考えるのは止めました感がすごいので意外といい線行ってる解釈なんじゃないかな〜とか思ってみたり……。

おわりに

 気持ち悪い文章読ませてすみませんでした。あまりにも森川の思考回路が自分のそれ(特に幼少期から思春期にかけての自分)に近似しているように見えたのでこんな胡乱な記事を書いてしまいました。もうだめだ、森川千夏に完全に呪われている、助けて欲しい。以上です。ここまで読んでくださった方、本当に申し訳ありませんでした。

 

ED主題歌に見る穂村すず子の精神性

はじめに

 なんかちょっと批評っぽいタイトルを付けてみましたが、当然ながら真に受けるような記事ではないことを先に断っておきます。中身はいつもの与太話です。ED主題歌の「undeletable」を穂村すず子主観の歌として(無理やり)解釈した場合にどういう妄想ができるかな〜というだけの話です。

 それはそうと、こないだ書いたちなすず首絞めセックス記事に関するTwitterでのコメントの多くが「こいつやべえ……」みたいな感じだったので、ちなすずオタクには頭のおかしいキモオタクしかいないと思われやしないか不安になってきました。とか言いながら今のところちなすず首絞めイラストしか描いてないので誤解を解く気が無さ過ぎますね。反省はしていますが行動に反映されるとは限りません。

1.「undeletable」を穂村すず子の歌とする根拠

 与太話とはいえ、自分の解釈を開陳するならやはりその根拠を説得的に述べようとする気がなければ駄目だと思うので頑張って書いていこうと思います。

 まず冒頭の「小さな手を引くのが 誰か思い出せない」という部分ですが、ここでED映像を思い出してみてください。EDでは「すず子の手を引いて走る千夏」の姿が描かれています。単純に映像が歌詞に当てはまるというだけではなく、「手を引く」という行為を比喩的に捉えた場合も、やはりこの部分はすず子視点であることが察せられます。幼いすず子はいつも千夏に励まされてきました。逆上がりが上手くできなかったときも、二人三脚を走る勇気がなかったときも、ためらうすず子を導いてきたのは千夏です。

 この関係性はEDのAメロパートの映像からもわかります。Aメロの終わり頃、冬服の千夏とすず子が階段を上る姿が映されますが、このとき千夏はすでに階段を上りきり、すず子が上がってくる様子を屈んで見下ろしています。まずこの位置関係自体がすず子と千夏の潜在的な上下関係を表しているとも考えられますし、膝を折って階段を上ってくるすず子を待つ千夏は、まるで小さな子を見守る母親のようにも見えるのが若干不気味です。(不気味と言いつつ個人的に凄く好きなシーンです)

 もっと言うと、最初の二つのシーン(春、夏)ですず子の方が千夏よりはしゃいでいて、その様子を千夏が近くで見守っているという構図も、ちなすずの「母と子」に近い関係性を強化しています。まあ母親云々は言い過ぎ感がありますが、やはり千夏が「手を引いて導く側」ですず子が「導かれる側」だったのは間違いないでしょう。

 歌詞をすず子主観とする根拠はもう一つあります。歌詞の二番には「その手をつかみたくて がむしゃらに駆け出した 身体を突き動かす熱情 守るため戦う」という部分があります。

 今のところ、千夏は自分の心を縛るすず子の存在を振り払うために戦っています。そうなるとすず子は今後、自分から逃げ出そうとする千夏の手を掴むために戦おうとするはずです。かつて自分の手を引いてくれていた人を、今度は自らその手を掴むために追いかける。そしてその手を引っ張ってこちら側に取り戻さなくてはならない。お話の構造として綺麗ですし、変化球をぶん投げてこない限りはこういうストーリーラインで確定なんじゃないかと思います。要するに、上記の歌詞に当てはまる立場にいるのはすず子であるということ言いたいわけです。

 また、これはさらにこじつけ度が高いのですが、本家TCGWIXOSSのカードテキストに歌詞のこの部分と照らし合わせることができる記述があります。

 もともとWIXOSSのルリグカードのフレーバーテキストはアニメやスピンオフコミックの展開を暗示する内容のルリグの台詞または解説だったり、実際にその台詞を本編のルリグも喋ったりということがあるので、(さすがに歌詞との連動を疑うのはやり過ぎだとしても)今後の展開を妄想する際の良い材料になります。

 本題に入ります。WIXOSS第15弾カードパックの「インサイテッドセレクター」に収録されている、リルのレベル4カード≪決死の記憶 リル≫のシークレット版(箔押しサインカード)のフレーバーテキストを下に引用します。

 「赤き身姿、過去の記憶に縋る熱意。

 これはおそらく、リルではなくすず子の方を指した記述だと思われます。だってリル自身は生まれたばかりで過去の記憶もへったくれもないですからね。とりあえずそういう前提で見ると、すず子は「過去の記憶に縋る熱意」を持った少女となるわけですが、「undeletable」の歌詞にも同じようなフレーズが出てきましたね?そう、「身体を突き動かす熱情」です。

 単なるこじつけじゃん……と思ったそこの貴方、そうですその通りです。ですがここは個人ブログであり、最初に断った通りただの与太話記事です。ですからこじつけでもなんでもいいのです。「あーそういう見方もできるのか〜へー」でいいのです!

 言い訳はこの辺にして、要するに私が言いたいのは、「熱意/熱情」というカードテキストとの類似が「undeletable」の歌詞はすず子主観だと解釈できる根拠であり、同時に(今後の)穂村すず子の精神性を解釈するキーワードになるのではないかということです。

2.穂村すず子の精神性

 現在の穂村すず子は、「熱意/熱情」という言葉から連想される人間性からは程遠いように見えます。セレクターバトルには非常に消極的であり、記憶を消したくないけどバトルをするのも怖い、と優柔不断で臆病な面が強調されています。(まあ普通そうなるやろという気もしますが……)セレクターバトル以外でも、転校先で友達を作れないでいたり自己主張が弱かったり、とにかく後ろ向きで逃げ腰です。(ウィクロスシリーズのモブは性格悪いのばっかりなのにどうやって友達作るんだよという感じですし、一応すず子も努力はしていたのでここまで言い切るのは酷な気もしますが)

 しかし、そんな彼女が唯一積極性を見せる場面があります。それはもちろん森川千夏絡みのことです。バトル怖いよぉ……と怖気付いても、リルが千夏の言葉を引用して励ませば前を向いて戦えるし、死ぬほど性格が悪くて行動も危険な匂いのする男×2に対しても、「ちーちゃんの身が危ない」となればまっすぐ渡り合うことができます。

 穂村すず子は(様々な環境要因が重なって)非常に消極的な性格ですが、森川千夏のことが絡めば積極的に危険なことにも挑んで行ける、それが4話までの穂村すず子です。

 しかし!4話ラストで、今までずっと心の支えにしてきた、すなわちすず子にとっての「生きる理由」といっても過言ではない存在であった千夏から直々に拒絶されることになります。これを書いてる段階ではまだ5話が放送されていないので、千夏に拒絶されたことに対しすず子がどう反応するのか正確なところはわかりません。しかし、「undeletable」の歌詞やEDの映像から、すず子が今後どう森川千夏に向き合い、思考がどのように変化するのか、あるいはもともと持っていたが抑圧されていた性質を解放するのか、それを妄想することができるんじゃないのか?と考えてこの記事を書いています。

 結論から言ってしまうと、すず子は主人公に相応しい、理不尽なシステムと戦う強い意志と精神を持った人間になっていくのだと思います。そしてその「熱意/熱情」が向かう先は当然森川千夏だと思うのですが、どういう形で表出するのかは未知数です。それを探るために「undeletable」の歌詞を見ていきます。

 歌詞のサビでは「消したくない」「消せやしない 」というフレーズが繰り返されます。森川千夏との思い出を消したくないというのは1話から一貫していますが、「消せやしない」という言い回しはとても強力な否定です。セレクターシステムにも森川千夏にも自分の思い出は否定させない、否定することはできないという覚悟と意志が感じられます。今後物語が進む中で、すず子が千夏、ひいてはセレクターシステムそのものの思惑に「熱意/熱情」を持って対峙するようになるのでしょう。そうなるのは物語的に必然ですが、すず子がどのようなプロセスを経て覚悟を決めていくのか楽しみです。

 また、「戦う」というフレーズもBメロで繰り返し登場します。この辺にもすず子の覚悟が見て取れます。4話まではバトルに対し非常に消極的な態度でしたが、千夏の変貌を突きつけられることで徐々にバトルに対して能動的になっていくのでしょう。「破滅的な行動をするちーちゃんを止めたい」だとか、前作のようにセレクターバトルは勝っても負けても誰も得をしない仕組みだということが判明して「ちーちゃんや他のみんなをゲームから救いたい」とか、動機としてありそうなのはその辺ですかね。

 ついでに、すず子は現時点でも覚悟さえ決めれば危険なことにも真っ直ぐ立ち向かっていける人間なので、彼女の使う色が赤であることは意外でも何でもない気がします。物語が進めば進むほど彼女の内に眠る「赤」が表れていくのでしょう。

 ていうか、それがどうやって表れるのかを考えようぜっていう記事だったはずなのに、書いててそこが一番どうなるかがよくわからなくなってきました。森川千夏との対峙とセレクターシステムそのものへの対峙がどうリンクしていくのかがまだ私には見えてきません。やっぱり森川がシステムに利用されてラスボス化するんでしょうか。そもそも森川の願いが「すず子を消す」みたいな直接危害を及ぼすものではなく「思い出を消す」というレベルのものなら放っておいて良くない?という気もします。いやすず子にしてみれば自分の心ををずっと支え続けてくれていた親友がいきなり「お前との思い出なんて要らない」とか言い出したら非常にショックだしそのままにしておけないとは思うのですが、それは絶望して戦いを放棄する理由にはなっても「絶対戦い抜いてやる」という決意にはならないのでは?という風に思います。

 ただ、すず子も森川に負けない重さと歪みを抱えた女なので、「ちーちゃんがどう思おうと私との記憶を消そうとするなんて許さない、絶対に阻止してやる」とか「ちーちゃんがそんなこと言うわけないし全部セレクターバトルのせいだ……絶対システム殺してやる……」みたいな方向で決意を固める可能性も十分あるわけですが。まあでも「いきなり鎖だのなんだのなんなんだ、こいつ最低だなこっちから縁切ってやるわ」みたいなことにならないのは確実ですね。森川がどういう態度を取ろうとしつこくその手を掴もうとするのが穂村すず子だと思います。

 気が弱そうに見えて意外と肝が据わっていて、それでいて「赤」らしい激しい熱情と、辛い環境由来の依存・粘着気質でもって森川千夏とシステムを追い詰めていくのが穂村すず子、という感じで〆ておきます。

おわりに

 大仰なタイトルを付けたくせに話が迷走してしまい、いつもよりさらに読み辛い怪文書になりました。ここまで読んでくださったみなさん、変なものを読ませてしまいすみません。ありがとうございました。

 

 

 

 

ちなすず首絞めセックス考

はじめに

 Twitterで相互のフォロワーさんが「ちなすず首絞めセックスのことブログに書かないの?」的なことをおっしゃっていたので、それを真に受けて書くことにしました。Twitterではちなすず首絞めセックスのことばかりつぶやきすぎてデレマスやスターズの絵で増やしたフォロワーさんをゴリゴリ削ってるレベルなので、折角ですしちゃんと一つの記事にまとめようかなと思います。

1.そもそもなんで首絞めなんだよ(概念の背景)

 Lostorage2話放送終了後、私は転がり落ちるようにちなすず限界オタクと化したわけですが、このときから「森川千夏は穂村すず子とセックスするとき首を絞めそう、ていうか絞めて欲しい」ということを主張していました。この時点での主張の根拠(?)は、2話で見せた森川千夏の穂村すず子に対する感情の急転直下っぷりと、友達に裏切られたと思ったとき真っ先に胸ぐらを掴みに行くという暴力性でした。

 森川千夏の穂村すず子に対する感情の大きさと重さについてはこちら(http://herikutsuningen.hatenablog.com/entry/2016/10/25/215714)の第7項目にまとめてありますのでご参照ください。

 さて、この馬鹿でかい感情を前提としたとき、森川が穂村とのセックス中に首絞めを行うことは必然だと(勝手に)思いました。仮に物語の結末ですず子と和解し幸せになったとしても、一度穂村すず子の存在を完璧に否定した事実は消えません。森川千夏はずっとそのときの感覚とそれに対する罪悪感を引きずり続けることになるでしょう。その上いくら追い詰められていたからとはいえ、自分の身に降りかかった不幸とは無関係なすず子に全ての責任を押し付けるような思考に走ったり、そもそも自分の生きる指針を全て思い出の中のすず子に委ねていたりするあたり、(有り体な言い方をすると)メンヘラの素質があります。加えてすぐに手が出てしまう暴力性。ここまで材料が揃ったなら、もう首絞めセックスするしかない、私はそう考えました。

 とは言っても、この時点では私自身「流石に妄想の飛躍だよな……ほどほどにしとこ……」という気持ちでした。そもそも2話しか放送されていない上に、もともと私は極端な解釈に走ってブロックされがちなオタクだったので、あんまり一人で暴走し過ぎるのはな……と反省しそこそこに留めていました。

 しかしつい先日、「あの」4話がやって来ました。ここから一気にちなすず首絞めセックス概念が(局所的に)ブレイクすることになるのです!

 前回(3話)ではラストに顔見せしただけの森川千夏でしたが、今回は後半の主役を完全に持って行きました。

 まず思い出の公園で再会したすず子を華麗にスルー。(提供でもネタにされてました)その後、1話に出てきた初心者狩りくんとのバトル。そこでメルが相手から一方的にズタボロにされる姿を冷徹に見つめるだけの千夏。もちろんこれは最初から最後まで作戦で、最後にはベルセルクからの愛別離苦(技名)で勝ちをもぎ取ります。でもいくら作戦だからって自分のルリグ(すず子の性格が強く反映されている・名前はすず子との思い出の品であるマスコットから)がボロボロに痛めつけられるのを平然と見ているだけなんて……。

 そしてラスト。千夏は「ずっと会いたかった…!」と自らに話しかけてくるすず子に対し「会えてよかった」と返答します。しかし直後、鞄に付けていたすず子との思い出のマスコットをちぎり取って地面に捨てます。以上が4話における森川千夏の簡単な紹介です。

 おわかりいただけるだろうか?森川千夏はメルが痛め付けられるのを冷徹に見つめるだけで〜とは書きましたが、それだけじゃない、明らかに痛め付けられる姿を見て楽しんでいる。2話ですず子を否定した千夏は、当然すず子との思い出の権化でありすず子の現し身でもあるメルのことが煩わしくて仕方がないはずです。しかし、彼女はセレクターバトルのパートナーであり、拒絶することは出来ません。だったらとことん利用してやるまで。ついでにわざとバトルで痛め付けるような戦法を採用してすず子の代わりのサンドバッグにしてやろうという魂胆です。恐ろしい、恐ろしいぞ森川千夏。その暴力性が本当に大好き。

 そんなわけで、公式で「穂村すず子(の似姿)に暴力を(間接的にですが)振るってほくそ笑む森川千夏」像が提示される運びとなったのです。

 その甲斐あって(?)4話放送後、2話時点で首絞めセックス!!と叫び暴走していた私を見てきたTLの皆さんが、口々に「ちなすず首絞めセックス説得力がある」「むしろ必然」「首絞めセックス良いな………」と言い出したではありませんか!!!凄い!!!やったぜ!!!ちなすず首絞めセックスは私の妄言じゃなかった!!!!!……とまあそんな感じで、ちなすず首絞めセックス概念は私一人の妄想じゃなくなりつつあります。私以外にもメルの首を絞める千夏のイラストを描いた方が現れましたし、着実にミームとして広まりつつあるのです……!

 まあ今のは普通に言い過ぎなので冗談ですが、少なくともちなすず首絞めセックス概念は4話を経て与太話なりに多少説得力が向上しました。というわけなので、ちなすず首絞めセックスの話をするなら今しかない、乗るぜ、このビッグウェーブに……!!!

2.ちなすず首絞めセックスのバリエーション

 ここからはTwitterで私や相互フォロワーの皆さんが提唱してきた様々なちなすず首絞めセックスの形を紹介していこうと思います。つまりはちなすず首絞めセックス・入門編といったところです。(入門編の後は実際に自分で妄想してみる実践編です。みんなでレッツちなすず首絞めセックス妄想!)では早速行ってみましょう。

 ①合意の上でのハッピー首絞めセックス

 首絞めにハッピーもクソもあんのかよといった感じですが、そこはまあ置いておきます。要するに「すず子も積極的に首を絞められたがってるし、千夏もすず子の首を絞めたい」というWin-Winな関係です。すず子は千夏に支配されたがっているし、千夏もすず子を支配したい。利害が一致していて幸せな首絞めセックスです。

 私的にはこれが基本かなという気がしてます。千夏とすず子は共依存的な側面が強い関係性ですし、首を絞める/絞められるという行為で互いの絆を確かめ合う歪さがめっちゃ似合う……。良い……。

 基本であるが故に様々な派生があります。まず相互フォロワーさんが呟いていらっしゃったのが「ちなすず首絞めセックス・リルメルに見せつけ」です。飛んだ迷惑バカップルです。元ツイートではさらにメルの頭のネジが飛んでいたのでリルの胃に穴が開きそうでした。最高ですね。ちなみに今思い付いたのですが、御影はんながちなすず同棲アパートに泊まりに来た日に、夜寝つけず起きてきたはんなに見られていると知りながらわざと見せつけるようにすず子の首を絞めながら情事に及ぶ森川千夏というのも良いと思います。周りを巻き込むクソカップル大好き。

 他には、これまた別の相互フォロワーさんが呟いていらっしゃったのですが、「相互に首を絞め合うちなすず」というものもあります。4話のメルの「私、嬉しいんだ。この痛み……ちーちゃんと一緒だから」的な台詞から発想されたもので、首絞めの痛みを共有することで絆を確かめ合う…というやつです。こっちもめちゃくちゃ業が深い。首をきつく絞め合って同時に絶頂するちなすずとか考えただけで頭がおかしくなりそうです。最高。

 私が妄想していたやつだと、最初は軽く首筋を撫でるだけだったのが段々絞める方へエスカレートしていく千夏だとか、毎回「私のこと好き?」と聞かれるので「好きだよ」と返すけど、内心「嫌いって言ったらちーちゃんに殺して貰えるのかな?」と昏い欲望が渦巻いているすず子だとかがあります。さらに喉の奥に指を突っ込んで息苦しくさせ、そのくせ「噛んだら首絞めるから」などと言ってすず子を脅す千夏という変化球も考えたことがあります。どの妄想も全力で楽しんでました。(ちなみに私の妄想は全て2話直後の妄想です、暴走しすぎ)

 ②ぶっちゃけすず子は乗り気じゃない首絞めセックス

 4話で一気に私の中で台頭してきた妄想がこのタイプです。メルをボコボコにしながら戦う千夏を見てすず子はドン引きしてましたし、メルとすず子の差異として「千夏に盲目的であるかどうか」がクローズアップされる可能性もあるなと思えてきたからです。もしすず子が千夏の言うことが全て!なままの人間だったら、Lostorageのお話はバッドエンド直行です。どこかですず子が「ちーちゃんの思い通りにはさせない」とエゴをぶつける覚悟を決めないとハッピーエンドにはたどり着けそうもないですからね……。

 そんなわけで、本当は首を絞められるのが嫌だけど、まあ千夏に鬼気迫るものがあるししょうがないから乗ってやるか……という感じで、首を絞められてる側のすず子のほうに精神的な優位性があるタイプの妄想になります。

 けど私がやると最終的には合意になっちゃうんですよねこれが!!!「段々首絞めなしだと物足りなくなっていくすず子」とか!結局①じゃねーか!っていうね。ですが大いに可能性のある妄想フロンティアだと思います。ちなすずが普通に大学生になった時空で、普段は成績優秀リーダーシップ有りの美人だと思われている千夏が、セックスのときに泣きながら「私のこと好きだよね?嫌いにならないよね?」とか言って首を絞めようとしてくる不安定なところがあると唯一知っているすず子とかね。周りからは千夏が彼氏役で引っ張って行ってると思われてるけど、実際に手綱を握ってるのはすず子で、でもそれを表に出すことはしないみたいなやつな……。良い……。

 ③その他

 千夏もすず子も首絞めが好きじゃないけどやってしまう/むしろすず子の方がその気/首を絞めるのはすず子の方、などがあります。この辺はTwitterでは妄想を開陳したことがないので、いっちょここでやってみようと思います。

 「すず子の心や身体を傷つけたくないのに、セックスしてると無意識のうちに首を絞めてしまう千夏と、首絞めてるときも泣きそうな顔してるし終わった後もマジで辛そうな顔して謝ってくる千夏を見て悲しい気持ちになるすず子」とか良いですね……。

 さらには「千夏に首を絞めるよう促して『…メルがちーちゃんと一緒にバトルしてたとき、こんな風に痛くて……気持ち良かったのかな?』などとささやいてくるすず子」とかも良い。この場合、千夏が罪悪感に押し潰されて精神状態が大変よろしくないことになりそうだし、すず子の方をより強く病ませるのもまた一興です。

 はたまた、すず子に首を絞めるようにお願いする千夏というのもアリです。すず子の心を傷つけたことを過剰に悔やみ、すず子から罰されることを望んで首を絞めさせようとする千夏……。ちーちゃんを傷つけるようなことをしたくないから力を入れられないすず子……。悲しげな笑顔で「もっと強く絞めて、お願い」とささやく千夏………。うわめっちゃええやん……。(自家発電が得意)

 だいたいこんなところでしょうか。ちなみにですが、なんで千夏はすず子の首を絞めたいと思うの?というところの解釈なんですが、私的には支配欲:罪悪感に起因する本当に愛されているのかという不安:今も尾をひくかつてのすず子に対する憎悪=4:5:1が理想です。このへんの動機を妄想するのも楽しいですね。

終わりに

 ちなすず首絞めセックスと一口に言っても、様々なバリエーションが存在しています。そしてそれは妄想する人間の数だけあるのです。もしこの記事を読んでちなすず首絞めセックス概念に萌えたなら、ぜひ妄想をTwitterなどで出力して欲しいです。逆に「極端な二次設定付けようとするオタクキッモ」と思われたなら、ぜひ私を打ちのめすようなあなた独自の解釈のちなすずをぶつけてください。喜んで殴られに行きます。

 そんな感じで、なんかかっこつけようとして盛大に滑った感がありますが、みなさんがちなすずを好きになって二次創作してくれることが私の願いです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

ちなすずオタクは「sink」聞けという話

はじめに

 『Lostorage incited WIXOSS』の主題歌、「Lostorage」のアニメ盤のみに収録されているカップリングソングの「sink」が恐ろしい。ちなすずオタクを本気で殺しに来ている。「Lostorage」や「undeletable」はなんやかんや明るい未来を想像させる曲ですが、「sink」はもうバッドエンドまっしぐら、というか何も知らない人にこれを聞かせて感想聞いたら「長く付き合ったカップルが別れる直前の想いを歌った曲でしょ?」って答えるだろという歌詞とメロディー。

 だがしかし、いや当然ながらと言うべきか、この曲は紛れもなくアニメ本編をイメージして作られた曲なのです。以下井口裕香さんのインタビュー(https://www.barks.jp/news/?id=1000133757)から「sink」についてのコメントから引用です。

 アニメを見てくださればストーリーが進めば進むほど、歌詞に対しての理解度も増すと思います。

 おわかりいただけただろうか。「sink」は単なるイメソンではない。本作品を見れば見るほどその「本当の意味」を理解できるという本物の「本編のストーリー展開とリンクした曲」なのです。

 助けてくれ、私はもう死にそうだ。これ以上何の理解を深めるって言うんだ……。

 そんな感じでマジ勘弁してほしいんですが、だからこそどこがどうやばいのか吐き出さなきゃやってらんねえということでブログ書きます。

 赤信号 みんなで渡れば 怖くない(標語)

1.「sink」の本当に怖いところ

 まず歌詞のことから話していきます……と言いたいところですが、先に一番言いたいことをズバッと述べておこうと思います。

 この曲ってセレクターバトルが存在しなかった時空の森川千夏と穂村すず子が最終的にたどり着く答えでもあるんじゃないのか?

 もし、セレクターバトルとかいう怨霊が生み出したクソゲーが存在しなかったならば。そうすれば千夏とすず子はかつてのようにお互いを想い合ったままで再会できたかもしれません。しかし、セレクターバトルが存在しないだけで、ほかのすべての条件は変わらないとするならば。その場合、やはり千夏は学業とバイトの両立に苦しみ、遅かれ早かれ2話のような板挟みの状態を追い込まれていたでしょう。本編の千夏はセレクターバトルに巻き込まれ、一度すず子の記憶を失ったことで自分がすず子に縛られていたことに気付いたわけですが、セレクターバトルが存在しない時空の場合、千夏は自分の中ですず子が重荷となっていることに気付けないのではないのでしょうか。すず子だって千夏の他に友達は出来ないし父親との関係は上手くいかないし、千夏のことを気にかけている場合ではないでしょう。お互い自分のことで精一杯です。そんな状態が解消されないまま拗れていけば。もう二人の関係は後戻りできないところにたどり着いてしまうでしょう。まさに「sink」の歌詞の通りになってしまいます。「sink」をまだ聞いてない、歌詞を知らない方々にはなんのこっちゃかもしれませんが、それは次の項目で嫌と言うほど解らせてやるつもりなのでご安心ください。

2.「sink」の解釈

 冒頭2節目から恐ろしい豪速球を投げてきます。

 いつから都合のいい記憶だけ見ていたんだろう

 この歌詞は森川千夏にも穂村すず子にも刺さる言葉です。すず子も千夏も過剰に思い出に依存しています。つまり、本人たちにその気がなくとも知らず知らずのうちに記憶を美化し、自分にとって都合のいい部分しか見ないようになってしまうのは当然の帰結とも言えます。本編においても、「記憶」をテーマに据えているのでこの辺りがちなすずの関係において重要なファクターとなってくるでしょう。

 ここで1節目から4節目まで一気に引用します。

 気になって覗き込み映るおもかげ

 いつから都合のいい記憶だけ見ていたんだろう

 手触れれば揺れてぼやけて消えてく

 君はどこだっけ?

 この一連の流れからわかることは、「森川千夏も穂村すず子も本物の相手ではなく水面に映った影のような、記憶の中の相手の姿しか見ていなかった」ということです。歌詞の喩えのセンスが抜群なおかげでこちらのダメージも深刻です。

この次の4節も一気にまとめて引用します。

 変わるのも変えないのも悪くなくて

 縮まらない距離が今の二人の答え

 足りない何かは知ってる あの日落として

 深く沈んだまま

 ここでタイトル回収です。回収の仕方が鮮やかでお見事です。

まず最初の2節ですが、あまりにも救いがなさすぎます。私はこれの2つ前の記事で「再会系幼なじみのキモは、会わない間に変わったものと変わらなかったものの絡み合いと擦り合わせだ」ということを言ったのですが、そこを見事に突いてきました。加えてこの歌詞が恐ろしいのは、「変わったのも変えようとしなかったのも悪くないよ、こうなってしまったのは仕方がないことだったんだ」という諦観を示しているところです。

 ほなどないせえっちゅーねん!!!!!

 思わずキレそうになります。

 「もう二人の関係はどうしようもないほど破綻してる、その事実だけがあって、どちらが悪いとかそういう話ではないけど、でもどうしたってもうダメだよ。それどころか最初からもうダメだったのかもしれない。」ということをこれほど詩的に美しく纏め上げて歌詞にしたのは見事だと思いますが、だからこそキツい。私の胃の調子のことも考えて。

 3、4節目に移ります。「なぜ関係が破綻してしまったのか、その理由は知っているけれど、もう水底に落としてしまって取り戻せない(=記憶が薄らぎ消えてしまって解らない/何か決定的な出来事があったが過去のことなので今更どうしようもない)」ということだと思います。

 おそらく、本編で「足りない何か」を記憶の水底から掬い上げるのがリル/メルの役割なのだと思いますが、あいつらにそんな大役ができるのか……?あのポンコツbotに……?という不安しかありません。助けて。

 もうこの歌に関しては全面的に引用していかないとお話できないのでまたまた4節を一気に引用します。

 思い出に甘えてた寄りかかっていた

 いつから頼り切り不安から逃げていたんだろう

 綺麗な面ばかり眺めて背けた

 本当はわかってる

 こちらも森川と穂村の双方に刺さりまくりの歌詞です。一見すると当てはまるのは穂村の方だけでは?という気がしますが、二人とも思い出の中の「すず」「ちーちゃん」に対して色々なものを背負わせようとしている点で同じです。

 歌詞に真正面から当てはまるような依存や甘え、逃避を見せているのはすず子ですが、千夏も「思い出の中のすずに憧れられる自分」という漠然とした目標に依存することで自分自身が何をしたいのか考えないようにしていた面もありますし、そのことに気付いた後で自分の態度を反省するのではなくすべて思い出のすず子に責任転嫁する辺り、千夏の思い出依存は根本的なところで変わっていません。

 すず子は今後千夏と再会して自分にとって都合のいいだけではない「今現在の現実の千夏」に向き合う決心を固めていきそうですが、千夏は「思い出の中のすず子」と「今現在の現実のすず子」を一緒くたにして拒絶するつもりのようなのでなかなか上手く行かなそうです。「本当はわかってる」んでしょ?頑張って……。

 また、彼女たちに対して必ずしも都合のいい振る舞いだけではないリル/メルは綺麗なだけの思い出で構築されたわけではなさそうです。やはり最終的にはセレクターバトルに参加したからこそお互いに向き合い踏み込む勇気が生まれてバッドエンドを回避できた、という方向に持っていくのかもしれません。でもそれだとますますセレクターバトルがなかった時空の二人が……。

  支えても支えなくても痛いなら

 向かい合っていっそ最後に全て話そう

 重り取って浮かんできた大切な日々

 たとえ錆びていても

 もうやめてくれ………

 よく世間では理想の関係性について語るとき「人という字は二人の人間が互いを支え合っていて〜」みたいなお話が引用されます。持ちつ持たれつ、支え合いながら頑張ろう!というのは色々なところで聞きます。

 しかし、どうもちなすずにとっては支えるのも支えないのも辛いことのようです。どこからどう見ても共依存の末期ですね助けてくれ。

 相手を支えるには相手の背負うものが重すぎる/自分も重荷を背負っていて両方は支えられない。しかし、近くにいるとどうしても助けてあげたくなってしまう。無視したり突き放したりできない。どちらにせよ痛くて辛い。

 地獄かよ…………。

 「本当の共依存ってのはこうやるんだぞ!」と公式直々に教えていただけるのはありがたいんですがもうちょっと手加減してくれませんかね?

 さらに追い討ちをかけるように「最後に全て話そう」のフレーズです。完全に別れ話するときのムーブじゃねえか……。

  別れる直前に付き合ってた頃の楽しい思い出が蘇り、記憶の底に沈んでいたような思い出も会話の中で浮かび上がってくる……。まあ錆びてるんですが。

 羨ましくて惹かれ合っていく

 時が経って身動きさえ取れないほどに輝いて

 ここはつまり「昔はお互いに相手が自分に無いものを持っていることを羨ましく感じ、強く惹かれ合っていったけれど、時が経つうちにその輝きに記憶の中で美化という名の歪みが生じてお互いその幻影に縛られにっちもさっちも行かなくなってしまった」ということでしょうか。めちゃくちゃ辛い。「輝く」というポジティブな文脈で使われることが圧倒的に多い単語をこういう使い方するの反則でしょ。この歌詞を考えた方は天才ですね……。

 最後の4節は最初のサビとほぼ同じなので割愛しますが、最初と最後で2回も「縮まらない距離が今の二人の答え」と推しカプの片割れの歌声で聞かされるカップリングオタクの気持ちにもなって欲しい。

 ついでに、「sink」はメロディーもとても素晴らしいです。真綿で首を絞められるような曲調と言えば良いのでしょうか。美しい旋律で絶望感を煽ってくる感じです。音楽方面の知識がないのでこんなことしか言えませんが、聞いていただければわかると思います。

終わりに

 ちなすずの関係性はセレクターバトルとかいうクソゲーに巻き込まれたから破綻しかかっているのではなく、むしろ本編ではセレクターバトルを通してぶつかり合えるきっかけを与えられただけマシなんだよ(^_^)最初から終わっていたに近い関係だったんだよ(^_^)と言わんばかりの歌、それが「sink」です。

 もう私は満身創痍ですが、これだけは言わせて欲しい。

 誰か「sink」が推奨BGMのセレクターバトルがなかったif時空ちなすずのドロドロ別れ話同人誌作って。

 以上です。

 

 

 

 

 

 

 

限界ちなすずオタクによるOP歌詞解釈

はじめに

 とうとうLostorageの主題歌CDが発売になりましたね。というわけで、この記事は作品の主題歌をちなすず暴走オタクである私の都合のいいように解釈しようという試みです。

 私は当時を知りませんが、エヴァンゲリオン大考察時代にはOPの歌詞から作品のメッセージや先の展開を読み解こうとする試みもあったそうです。まあ、そういうことを大真面目にやると失敗するのは明らかなんですが、与太として「こんな風にも解釈できるよね〜〜〜!!!」と盛り上がるのは楽しいだろうなと思ったのであえてやることにしました。

 とりあえず本記事ではOPの方を解釈していこうと思います。

1.前提

 先日発表された井口裕香さんのインタビュー(https://www.barks.jp/news/?id=1000133757)では、「歌うときはキャラソンにならないようにっていうのを意識しながらレコーディングしました」「歌詞は、私が演じる森川千夏、その親友の穂村すず子、どちらの視点からも受け取れるんです」と述べられているのですが、この記事はガンガン恣意的な解釈をやっていくぞという意志のもとで書かれているので、「Lostorage」は森川千夏の歌だというスタンスを貫いていくつもりです。

 というか前作劇場版の『selector destructed WIXOSS』の主題歌である「Love your enemies」も、劇場版パンフレットの分島花音さんのインタビューによれば「るうちゃんは敵も味方も助けるという博愛的な考えを持った子なので、そういう想いをリンクさせるつもりで歌っています」ということなんですが、実際に劇場アニメ本編を見た上で聞くと「どっからどう聞いても五十嵐留未視点の曲じゃねーーーか!!!!!」となったので、公式解釈とのズレを認識しつつ独自の解釈を突き進んでいった方が、自分一人で楽しむにはちょうどいいんじゃないかなと思った次第です。

2.解釈

 ここからやっと歌詞解釈のターンです。ぶっちゃけ歌詞一つ一つ全部引用して逐一コメントしていきたいんですが、著作権的なアレでよろしくない可能性もあるので(こんな辺境のブログは気にも留められないと思いますが……)引用は必要最小限に留めておきたいと思います。

 まず歌詞の冒頭、「born→memory」から始まるのですが、これは直球でルリグ誕生のことを指していると思います。続く「 全てが生まれ 全てを消して 全てを超えて」は、「ルリグの全ては記憶から生まれる」「セレクターバトルが敗北者の記憶を全て消す」「穂村すず子/森川千夏がセレクターシステム(=ゲームの全て)の思惑を超えた振る舞いをしてついにはシステムを瓦解させる」という風に解釈しておきます。要するに、この辺は『Lostorage incited WIXOSS』の物語の概略を述べている部分だという解釈です。

 この次に「私」という一人称が現れますが、1で述べたように、この「私」は森川千夏であるという解釈を最後まで貫きます。「私を組み立てる記憶」というのは、一般論として考えると「人格は蓄積された記憶から生じる」ということを指しているように思われますが、森川千夏個人に限って言えば「穂村すず子に関わる記憶」という限定的な範囲を指していると考えられます。この「記憶」が「叫んでいる」というのは、2話の展開を踏まえると「消してはいけない」という心の叫びだと解釈できます。

 森川千夏はおそらく2話で穂村すず子の記憶を消すことを決心したと思われるのですが、彼女の場合は愛が憎悪に反転したタイプなので、憎悪に変わりきれなかった愛情が必ずどこかに残っているはずなのです。その愛情がこの先どのように呼び醒まされるのか想像するだけで悪い笑顔になってしまうのですが、それはともかく、ここでは「森川千夏の中の穂村すず子の記憶」が擬人化されて「私を消してはいけない」と叫んでいるということです。(そういう解釈の漫画描いたな……)

 冒頭のサビが終わった後のAメロ部分に行きます。ここの解釈は散々ツイッターで喚いたんですが、完全に2話以降の森川千夏とシンクロしています。ここでいう「信じてたもの 迷子になったとは、もちろん「自分の生きる指針がわからなくなってしまった」ということだと思います。いや改めて本当に凄いですね……森川千夏にとっては穂村すず子が生きる指針そのものだったんだなあ……。ティザーPVの「自分の思うままに生きる」ってセリフを確認したときも「お前今まですず子の期待に沿うことだけを考えて生きてきたって認めちゃうの!!?そんな人間が自由を手に入れたところで何もないからっぽになるだけだと思うけど!!!??!?」とひどく驚きました。プライドが高い森川千夏にどうやって「私は穂村すず子がどうしようもなく好き」だというところまで認めさせるつもりなんでしょうか……。

 続いてBメロです。ここは単純に何がしたいのか何が起こるのかわからないセレクターシステムに乗っかってしまっていいのかという不安だと捉えられますが、同時に「本当に穂村すず子を忘れてしまっていいのか?」という千夏の迷いを歌っていると捉えるといい感じです。本編でも森川千夏の迷いや躊躇いが描写されるのかと思うと極悪人みたいな笑顔になります。そうした迷いを「夢の中で幼少期の穂村すず子の首を絞める森川千夏」として描写した漫画を描いたのですが、本編でもっとすごいことやってくれないかな……とソワソワしています。「過去も未来も探してる」のあたりなんか、過去に囚われて未来が見えなくなっている千夏にぴったりの歌詞ですね。

 再びサビに入ります。「会えたらいいね あの日の笑顔 あの約束 繰り返す日常の中 ノイズに巻かれ歪んでく」はまさに森川千夏!といった感じです。すず子との楽しかった思い出、ずっと一緒だよという再会の約束、その全てが会えないでいた日々のなかで歪み、森川千夏を縛る鎖となってしまった……ということでしょう。

 さらに続く「まだ解らない まだ求めたい まだ失くせない」は、森川千夏のみならずセレクター全員の心の叫びだと捉えたほうが収まりが良さそうです。「この先どうなるのかわからない」「セレクターバトルを勝ち抜いた先の報酬を求めて戦いたい」「大切な記憶を失くすわけにはいかない」という感じでしょうか。

 また、全体に散りばめられた「迷子」「彷徨う」「迷路」などといった表現は、森川千夏個人の生き方にも当てはまりますし、各セレクターそれぞれがシステムに翻弄される様を歌っているとも解釈できるので、深読み大好き太郎にとってはとてもGOODです。

 ここから2番に入ります。「小さな想い出も手の平の中 色あせてゆく」というのは直球で黒ずむコインのことを指してますね。手の平を開けばすぐにコインの様子をチェックできるハイテクシステムですが、もっとマシなことに使えやという気持ちにしかなりません。コインが全て黒くなればゲームから脱落して「森川千夏」は死んだも同然になるわけですから「止めて!」となるのは当然なんですが、それだけではなく実はすず子の記憶が薄れることに対しても恐怖感を抱いてくれてたらめっちゃ楽しいです。負けてコインが黒くなり、すず子の記憶がまた曖昧になった千夏が「いや……!やめて、消さないで……!」と震えだすシーンとかあったらテレビの前でガッツポーズキメると思います。

 Bメロです。ここはもう本当に聞いた瞬間森川千夏!!!!!と叫ぶ寸前でした。

 「希望? THE END? 答えて 手放していいの? 過去に繋がれ 動けない…

 もう説明しなくていいんじゃないのってくらい森川千夏です。「本当にすず子の記憶を手放すことが希望なのか?それともそれこそが全ての終わり(=絶望)なのか?」と自問自答する千夏の姿が目に浮かびます。ていうかやはりちなすずの関係は鎖に喩えられるものなんでしょうか。最高ですね。

 次はCメロです。ここは歌詞の雰囲気も違います。最初の繰り返し部分で何気に韻を踏んでるのでラップ調なんでしょうか。韻を踏んでいる部分は記憶の伝達、あるいは忘却のイメージを歌っているように感じました。最後の節はそこから飛躍して「生キルッテ孤独ナ play?」と〆ています。ここも果てしなく森川千夏ですね……。"play"っていうのはウィクロス(ゲーム)をプレイするというところに掛けているのだと思いますが、ウィクロスは対戦ゲームだし人生も(嫌でも)他人との関わりを欠くことのできないものだよ……。大体お前には穂村すず子がいるだろうが……。孤独じゃないじゃん……。

 Cメロの後半に行きます。この辺から歌詞が能動的になります。今まではシステムに翻弄されていただけでしたが、ここでは「誰かが仕掛けた罠にdive」など、罠だと知りつつも立ち向かっていく姿が描かれます。本編の森川もこの歌詞のように前向きにクソシステムへと立ち向かっていくのでしょうか……。システムに利用されてラスボス化の線も濃厚なので油断できません。

 そしてラスサビに入ります。歌詞は1番最後のサビ+冒頭のサビといった感じでほぼ変わりませんが、繋ぎの部分が見過ごせません。

 「彷徨う記憶の途中で 何かに出会い 積み上げる

 この「何か」に対応するものに本編の森川千夏が出会ったとき、私はマジで泣くかもしれない。

 ここで言う「何か」ってのは「なぜ森川千夏は穂村すず子が好きなのか?」に対する答えだと思うんですよね。私としては「理由のない好き」概念が大好きなので森川→穂村の感情に明確な理由がなくても構わないんですが、それだと『Lostorage incited WIXOSS』という物語の強度が下がってしまう気がするんですよ。だっていかにして森川千夏と穂村すず子の関係が再構築されるのかっていうのがこの作品の何よりの肝なわけですし、そうなると「なぜ森川千夏は穂村すず子に執着するのか?」という部分に対する答えと、そこから生まれる問題をいい感じに解決する手段の両方を提示しないと収まりが悪いんですよね。まあ私は作品のオチのつけ方に対して理詰めよりもエモーショナルを優先して評価するところがあるのでよっぽどはずさない限り「感動〜〜〜〜〜!!!!!」っつって泣くと思いますが、その辺の理屈もしっかりしてくれたら文句ないです。

 サビが終わった後にCメロの韻踏み部分が繰り返されるのですが、完全に同じ繰り返しなので割愛します。(本当は歌詞の構成とかメロディーの組み立てなどを合わせて解釈するともっと面白いものが出てくると思うのですが、あいにく音楽方面の教養が皆無なので出来ません。そういうのに詳しい方がいらっしゃいましたら私の代わりにブログに自説をまとめてください。) 

 それと、ちょくちょく挿入される「<find my real>」という囁きですが、「私の本当を見つける」ってこれまためちゃくちゃ森川千夏に聞かせたいフレーズですね。お前の本当の気持ちは「すず子の記憶を消したい」じゃないでしょ?????って詰め寄りたい。

 終わりに

 知ってましたかみなさん。これを書いてる時点でなんとまだLostorage incited WIXOSSは3話までしか放送されていません。それなのにこの盛り上がり様です。なんか普通に滑稽なオタクですが、我に返ったら負けなので、必死にちなすずオタクとして爆走していきたいと思います。私の走った後ろに道は出来る!!!まあそんな感じです。ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。